今までの性格とは全く違うことをやり続けた結果、不安になっている自分もいた。
あの時の演説失敗も、文化祭前日のやりたくないっていう発想もそう。
上手く行っているはずなのに、その陰で不安が大きく成長していた。
それを吹っ切る上で、あの団体を作ったのかもしれない。けど、それが失敗だった。
ほどよい成功で、そのままだらだらしていけば、多少は改善できたんだと思う。けど、一気に変えようっていう発想になってしまった。さっき言ったように、肯定もあったから。
自分自身に出せないスピードで行こうとしたからかもしれない。
だんだん崩れていくのは分かってた。それを改善しようと頑張ってた。
でも、崩壊のスピードは、自分で止められないほど早まっていた。
急な山は登っていくのは辛いが、落ちるのは簡単で、そして、落ちたらもう戻って来ることは不可能なのだ。
もう一度上ろうと思えるまでに、長い時間が掛かってしまう。
そして、自分は落ちたんだと思う。
落ちて、ボロボロな自分に否定の言葉が突き刺さった。
まだ、ボロボロじゃない時には、否定をつき返す、心があったけど、もうその時は、言葉では反論できても、心は完全に負けていた。
そういう状態が、それまで作っていた、上手くいったと思える経験をぶちこわしてしまった。
大事に積み上げてきたはずなのに、最後上に乗せようと思ったものが落ちて、あろうことか、全てその塔を壊してしまった。
そして、完全に自分を支えてきた鎧がはずれるのである。
跳ね返す気力もなく。
そして、いつの間にか、自分ではなく、他人で決める自分に戻っていた。
あの時「自分達が良いと思ったんだからいい、やってよかったんだ」なんて言葉を言っていたのは
自分のわがままについてきてくれた人達にはどうにか良かったと思ってもらいたかったからで、不安から出た言葉だった。
自分的には良かったし、楽しかったからいいや。
ではなく、
どうにか、この人達が良かったと思ってくれないかな
である。
このとき、完全に自分の成長した姿はなくなったんだと思う。
そこからの自分は、もう何も持っていなかった。
また、何もしない自分に戻ってしまったんだ。
よくよく考えたら、何度か、そういう風に鎧が外れかけた時はあった。
でも、その時はどうにかなっていた。けど、その時ばかりは完全に終わったのだ。
またあの時のように変えるとしたらどうしたらいいんだろうか。
多分もう一度夢を見ることだと思う。
頑張っていた人を見ていたように、自分の頑張っていた時期を思い出した。
あの時目指していたものがあったように
今もう一度、夢を見て、目指すべきじゃないだろうか。
それが、もう一度、自分が自分であることを、少しだけでも誇れるようになるきっかけになるかもしれない。
自分が嫌いなものくらい分かる。
それが今の自分なら、それは、変えなきゃいけないものなのだと思う。