物を取られた時、悪意を感じる。

ひとのものとってんじゃねぇぞ、と

だが、それがファンのような意識で取られたとしたら、こちらも困るとはいえ、多少嬉しく感じる。と思う。

同じことなのに「プラス」と「マイナス」でははっきりと別れるのだ。

とても不思議だ。

だが、よく考えると不思議なのは、それより、自分自身かもしれない。

我々はそれが善意か悪意かを勝手に判断しているのだ。


勝手に取られれば、悪意。何かあったら、善を示すような何かがあれば、善意とする。


それに、勝手に取られた後、帰って来た。しかも、なにやら自分を褒めるようなこととかをいわれたら、

悪意はたちまち消える。それどころか、相手は善意をもってと判断する。180度変わるわけである。


相手がやったことを勝手に判断するのは自分自身だったのだ。


悪意の正体は自分自身だったのだ。

敵を生み出すのも自分自身。なんだか不思議に感じた。


+091029+メモ帳より+


今回のメモ帳初のメモです。現代文の時間に書きました。

この話の元はこの前の駅まで会議の前にささるとちょいと話した事がきっかけです。


なんだかんだ、自分自身が決めてるんだなと、

悪意のある視線とか...マジ恐いよね 笑

だけど、それはなんともないことかもしれない。自分自身が勝手に生み出してるものなんじゃないかというような考えですね。


メモ帳最後まで使いきれるか?

今後の目安としてがんばって行きます。


落書きOKですが、俺の書いたことは消したりしないで!そんな感じです。

では!