いつだって猫がお手本♬
ひろちゃんのあるがままライフへようこそ!
このブログの目的はこちら
考えるところあって、しばらく投稿お休みしていました。
私はいわゆる「探求」というものを卒業していて、
このブログは、スピリチュアルや、ノンデュアリティ、悟りの探求に苦しんでいる人に参考になるよう、書いていましたが、
やっぱり、哲学の路線で語る以上、仏教を語ろうが、ノンデュアリティや悟りを語ろうが、
しょせん机上の空論で、水掛け論にしかならないような気がしてきたのでした。
なので、今後、どれだけ哲学に触れるかは決めていませんが、
これから、感覚的にピン!と来たものだけ、掲載して行こうと思います。
こちらは、2023年10月16日のFacebook記事。
必要な人に届きますように。
【思い出せるトラウマって、実はダミーだった】
最近、大嶋信頼さんの本を、ほとんど全部一気読みしてしまった
以前、大嶋氏のシリーズが出たての頃、1、2冊読んだことはあって、
ちょっと面白いなとは思ったのですが、
ご自身の子供の頃の話が、あまりに辛く、何度も繰り返し書かれているので、辟易してしまったのと、
その本が、大嶋氏の理論のどの辺に当たるのかが分からなかったのとで、
何となく掴みきれないまま、敬遠してしまったのでした。
7、8年前になるんじゃないかなぁ。
それが、今こうして、全体の理論が出揃った上で読んでみると、
いつの間に、こんな世界が出来上がっていたのっていうぐらい、
スゴイことになっていた
なぜまた大嶋さんの本を読み始めたかというと…
どうも私、最近まで、フラッシュバックというのを、やっていたらしいんですね。
イヤな経験が何度も思い出されて、グルグルと考え込んでしまうというアレです。
「自分」はいないって分かって、
思考を相手にしないようになってからは、
そういうことが激減したんですが、
それでも、いくつかはやっぱり、まだしつこく戻ってくることがあって、
最近はもう、「自分が悪い」なんて責める気持ちも無くなったのに、
何でなんだろうと、不思議になった。
だからまず、
「これって本当に『繊細さん?』と思ったら読む本」
(武田友紀、名越康文)って言う本を読んだんです。
そうしたら、
「トラウマが解消していない人は、自分を繊細さんだと思い込んでいる人が多いけど、
PTSDと繊細さんの問題は根本的に違って、
PTSDの人は、トラウマ治療が必要」と書いてあったんです。
そのPTSDというのも、
最近のトラウマ治療では、なんと、
事故や、戦争の負傷や、災害時のような、
原因を特定できるハッキリしたものだけでなく、
家庭の中で気づかないうちに、少しずつ起きていた、言葉や態度による虐待も、
積み重なって行くと、PTSD になるということが、分かってきたそうなんです。
そして、人生の早い時期に、家庭環境の中で、長い時間かけて徐々にPTSDになって、
でもそれと気づかず、傷を抱えたままでいると、
後々も、ちょっとしたことで傷ついてしまったり、
イヤなことがあると、その経験を、フラッシュバックしてしまったりする原因になるらしい。
その感じ、すご〜くよく分かるんです。
健康な肌なら、少しぐらいの傷は何ともなくても、
肌荒れしていると、ちょっとした傷でも、すご〜く痛いじゃないですか?
そんな感じ。
でも、心の表面は、肌みたいに見えないから、周りはもちろん、
本人さえ、心が肌荒れしているのに気づけないんですよね。
だから、自分は繊細さんなんじゃないかって(もしくは、学習障害とか)勘違いするケースが増えているけど、
フタを開けてみると、PTSDの人だったというケースが増えているらしく、
私もその1人だったようです。
じゃあ、PTSDの治療って、どうしたらいいのよって、
大嶋さんの本を読んでみたら、さらにさらにびっくりしたのが
何と、思い出せるようなトラウマの記憶は、ダミーである可能性が高くて、
本当の引き金になっているトラウマ体験は、思い出すことができない可能性が高い。
だからこそ、得体の知れない不安感や、罪悪感や劣等感みたいなものになって、
何度もフラッシュバックするそうなんです。
トラウマっていうのは、基本、ショックで感情と記憶がバラバラになって、
感情と記憶が、脳内できちんと一緒に整理されなかったために、
残った感情が悪さしてしまうんだそうです。
だから、逆に言うと、思い出せるものは、すでに整理できているということで、
そうすると、悪さしている記憶は、その思い出せる記憶ではない可能性が高い。
上で、親からの小さな言葉や態度による虐待が、
長期に渡ると、PTSDになりうると書きましたが、
些細な心的外傷記憶が無数にある状態だったら、
そりゃあ思い出せないし、
記憶の整理のしようもないはずで、
ヘタをすると、そういうケースの方が深刻なのかも知れないし、
潜在的なケースも含めたら、明らかなPTSDより、よっぽど数が多いかも
って、改めて思う。
私も、10年ぐらい前までは、さんざん心理学の本を読んだり、カウンセリングに行ったりしていたのですが、
治ったようでいて、今一つ手応えを感じられなかったたのは、そこだったんですよね。
もちろん、親との確執を理解するために、
本を読んだりカウンセリングを受けたりするのは間違いなく必要だったのですが、
じゃあ、子供の頃の衝撃的な記憶を再体験して統合することで、
果たして本当に治ったのか、癒やされたのかというと、そこは大きな疑問でしたよ。
それも今ならよく分かる。
だって、ダミーの記憶を相手にしていただけなら、治るわけありませんよね。
私の感触で行くと、思い出せる記憶は、やっぱり、その時点で8割型統合できているんですよ。
だから、カウンセラーには、それを報告しているだけで、
苦しみの根っこは、そこにはない。
大嶋氏の方法論は、究極を言ってしまえば、ものすごくシンプル。
不安や恐怖、罪悪感などが襲ってきた時に、
ただその中に浸るだけ
分析も思考もしない
浸るというのが大袈裟なら、身を置くだけ。
そうすると、私の場合、1分もしないうちに、
「凪」の状態になって消えていきます
具体的な記憶は思い出せませんが、本当にそれで消えて行く。
実は、「自分」がいないって分かってから、
気づくと独りでに、時々こういうことはやっていたんです。
でも、それがPTSDのせいだって知らなかったから、
あぁ、ラクになったなぁというだけで、
トラウマとして、認識できていなかったんですね。
でも、本を読みながらやると、
いろんな点ですごく納得できて
頭の中も一気に整理されるので、効果倍増。
なぜ「感じるだけ」でいいのかという説明や、
そこに行くまでのコツもちゃんと書いてあるので、
心当たりのある方、
興味を持たれた方は、一度読んでみられるといいと思います。
大嶋氏の本はどれも、「自分」はいないっていう、
私がノンデュアリティ的な感覚になった今だからなおのこと、
スーッと入ってくるものがあるし、
ついでにノンデュアリティに感じていた疑問の答えにもなってくれている…
というか、この方の一連の本を読んで、振り返ってみると、
ノンデュアリティっていうのは、やっぱり哲学にすぎず、
あまりに観念的で、机上の空論だったんだなっていう感じがしてきてしまいますね
大嶋氏の本の方がよっぽど、ノンデュアリティより、ノンデュアリティ的で、
しかも実践的と言ったら、褒めすぎかなぁ。
少なくとも、10年前の心理学(の域を出てしまったかも知れないけど)を格段に超えて、
問題の核心に迫るものを提供していただき、「感謝」という感じです。
学問の進化、人の進化って、スゴイですね
私にとっても大きなブレイクスルーでした
おふぇい 「ママ、ごほん ばっか よんで にゃいで、はやく ごはん つくってよ」
ガビ 「ボクは おさかにゃが いいでし」
最近、ウリはちょっと反抗期? もしかして、思春期!?