2022年12月2日のFacebook記事です。
【25年越しのスピリチュアル・探求を卒業して】
<平和ボケしたにゃんばぁず。の覚え書き>
スピやノンデュアリティを卒業してからというもの、
特にこの夏からは、音楽♬とソーイングに明け暮れる毎日。
気の遠くなるほど長い間、
あれほどスピの世界や哲学的なものにどっぷりだったのに、
そういうことが、ほとんど頭に浮かばないのが不思議なくらい。
だけど、ここのところ、日々の活動に没頭するほどに
「何でもっと早くこう出来なかったの
その時間がもったいなかった」
という思いが浮かんでいた。
スピに出会ったのは25年前。
それまでには、心理学的なレベルでは、家族との泥沼も相当整理できてはいたものの、
それでもまだまだ全然、傷は癒えていなくて、
イギリスでものすご~くしんどい人と付き合って、
身体を壊しそうになった時に
自分の意識が世界を作っているという考えを知って、
思わず飛び込んだんですね。
まだ精神世界って言われてて、
書籍類はオカルトのコーナーにあった頃でした。
あまりに人生思い通りじゃないから、
思い通りにしたかったんですよね。
それから本読みまくって
自分探しして
自分の才能で生きていかれるようになることを夢見て
Jojoと結婚して
スピのことは何も知らないJojoだったけど、
一緒にスピやるようになって、
最後には2人でスピのビジネス習ったりしても
まだまだ全然、私は苦しかった。
「自分を大事に」までは良かったけど
自分軸=我を通すだったり
出来るだけ大きな夢を見て器を広げることが
自分を高めることだとか
色んなところへ行って、そんなこと言われると、
確かにその時は気持ち良いんだけど
結局エゴがパフパフ膨れるだけで
逆に現実とのギャップに苦しんだり、
夢に押し潰されそうになって
動けなくなったり。
最近は、そのパフパフに踊らされたことを思い出しては、
いつまでもエゴが手放せなかった弱さを苦々しく思ったり
今さらのように恥ずかしく感じたり
踊らされて無駄にした時間を
悔やんだりしていたのでした。
そんな諸々の思いが出て来ても
いつもなら思考なんて放って置けばどこかへ行ってしまうんだけど
ここのところ、珍しく何度もやって来ていたので
たまにはそんな話もしてみようかと
久しぶりに、その思いをJojoに話してみたんです。
先月の結婚記念日だったかな。
すると、それを聞いてJojoがポツンと一言、
「でも、その時間がなかったら、
今頃僕は病気してたかもしれないよ」
って言うんです。
確かにJojoの家系は、みんな我慢強くて
我慢していることさえ気づかず病気になったりする人が多いので
そう言われて、私も肝が冷えた
思えば、あんなに2人で一緒にスピやって
でも、私がスピやめても抵抗もせず
最初からやっていなかったかのように
Jojoもさっぱりやめてしまったことが
ものすごく不思議だったんだけど
改めてそう言われてみれば
スピは私より、Jojoにbenefit してたのかも知れない。
企業人30年以上やって来た人にしてみれば、
スピ系起業塾の内容はあまりにお粗末で、
笑っちゃうようなモノだったみたいだけど
それでも、ビジネスだの個人事業主だの
自分の生き方するだのって考え方に触れなければ
早期退職だの
在宅勤務だのっていう発想自体が生まれなかったんじゃないかって言うんです。
で、そのままだったら多分、
仕事の内容にいつもどこかで不満をを抱えながらも、
みんなそんなものだと思って企業の歯車として
摩耗して終わったのかもしれない…
(ホントなら来年定年と言われる歳ですからね。)
いや、摩耗して終われるならまだしも、
もしJojoが身体でも壊していたら…って思った時、
それまで無駄にしたと思ってた25年が急に惜しくなくなった。
何よりJoj oは元気だし、
その上元々職人気質のJojoが、
ヲタク丸出しで、納得行く仕事をとことんやってる姿は、
何ともいえず幸せそうだから
それもまた、ストーリーにストーリーを塗り重ねた解釈ですが
でも、やっぱり世界はよく出来てるんだなぁって、改めて思うんですよ。
足らないものも不要なものも
何一つない。
ただ思考の都合で良いだの悪いだの言っているだけ。
私も私でスピとか何とか言う以前に
生きることについて、とことん考えたいところがあったのだから、
考えに考え尽くした末、突き抜けたのは
やっぱり幸せだったんです。
星読みやタロットをやりながら、
自分の中を見ていれば、
わざわざ星を読まなくても全ての流れに乗って行かれることが分かるようになり
やがて「自分」そのものがないことに気づいて、
ノンデュアリティ(非二元論)を読み漁り
ノンデュアリティもまた二元論だったことに気づいて
最後には自称「悟った人」のところへ行ってみたけど、
その人の生きざまや言動を見たおかげでむしろ、
悟りもまた夢でしかないことを、まざまざと見せてもらい
それこそ悪い夢からでも覚めたかのように
スッキリ本来の生き方が出来るようになったんです。
…って、本来の生き方って何って言われると私も困るんだけど
考えずに生きていても、
(いや、考えずに生きていた方が)
当たり前に命が生き生きとしているとでも言ったら良いんでしょうかね
こんなシンプルで幸せなのは初めてなんです。
人って、こういう本来の幸せを「幸せ」と感じるのに、
恐ろしく時間がかかるものなのかもしれない。
それを世間では単に「人生」と平たく言ってしまうものなのかもしれない。
けど、それじゃあ何だかもったいないなぁというのが正直なところ。
私には、その生き生きとした命を感じられるようになったのはやっぱり、
何にも代え難い幸せだから。
これは私の考え方で、スピが悪いって言ってるんじゃありません。
私はたまたまスピを突き抜けちゃったけど、
それを目標に一生やるって言うのもアリなんです。
でも、突き抜けちゃうってのもアリなんです
何でもアリなんです。
世界って、良い悪いのない、本当に自由なところです。