◼️高松市庵治町の皇子神社 船祭りの”だんじり”の意味と祭神ウジノワキイラツコ (応神天皇の皇子)の政権交代の秘密とは?


播磨風土記には宇治神社に祀られるウジノワキイラツコは宇治大君(宇治天皇)と記載されている。 ウジノワキイラツコは高松市の鶴尾神社にも祀られている。


仁徳天皇(星川建彦)の策略により宇治川で溺死させられたウジノワキイラツコの皇子と親族は天理市庵治から讃岐に逃れてきて、その場所を庵治と名付けた。 小豆島にも皇子神社がある。 





🔸高松城の鬼門には庵治町の竹居観音を置く。江戸時代、庵治町には松平家の別荘があった。

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🔸庵治町御殿山に別荘があった。近くには皇子神社が鎮座している。皇子神社の祭神はウジノワキイラツコ。舟祭りのだんじりはウジノワキイラツコの宇治川での遭難を忘れぬように毎年再現、後世に伝える。

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🔸奈良から堺、瀬戸内海を渡り、小豆島にたどり着き、皇子神社を建てた。その後、讃岐の屋島の東側にある半島に皇子神社を建てた。一族の墓は高松市西春日町にある鶴尾神社裏の古墳となる。

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🔸奈良県天理市庵治町

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🔸鶴尾神社と古墳群。双方中円墳は天理市の櫛山古墳と高松市に見られる珍しい古墳。天理市に居住していたウジノワキイラツコの一族の墓と推測される。

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🔸ウジノワキイラツコの皇子一族が住んでいた天理市庵治町と櫛山古墳。庵治は元は皇子と言う漢字を使っていたが、仁徳天皇(星川建彦)の策略によるウジノワキイラツコの殺害後、仁徳天皇による襲撃を恐れて漢字を変えた。

ウジノワキイラツコの母は和邇氏、父は応神天皇(竹葉瀬の君)。高松市西春日町の鶴尾神社にはウジノワキイラツコと応神天皇、応神天皇の母 神功皇后を祀る。神功皇后は辰韓の皇子 アメノヒボコの子孫。天日槍(アメノヒボコ)は出石神社に祀られる。

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