ごきげんよう。

 
神戸の大倉山、神戸文化ホールでの
1500人もの家族や親子、ひとが
集まった、マザーアースに行ってきた。
 

地球を救うお母さん
って、すごいな。
 
でも、お母さんはすごいと思う。
 
でも、お母さんひとりの負担は今の
日本ではかなり重たい。
 
正直、子どもを育てることは、働いてようと
働いていなかろうとも、とても
きつい修行を毎日毎日することだ。
 
この苦行、いつまで、続くの?
親である以上、それは一生ですわ。
 
18歳で自立させても、親であることには
変わらない。
 
いかに子離れ、子別れしてゆくかも、
自立と並行して進めなくてはいけないし。
 
そして、子育ての根底には、子どもを
育てる人や大人からの愛が必要だ。
 
子どもを育てる人は何も肉親だけでは
ないし、ましてや、お母さんだけではない。
 
それは、発達心理学や臨床医療でいう
愛着(アタッチメント)だ。
 
noteにその説明をちょろっと書いた。
 
愛情の絆bondが結ばれていて、
それがもとで安心の基地となることだ。
 
くさい話だが、愛情、愛なのだ。
 
てことで、「愛しかいらない」って、
そういうことだ。
 
神戸市の教育委員会などの協賛や企業から
の寄付で、なんと参加費無料!
 
愛の無償放出フルスロットル!!
 
じゃぁ、登壇者はしょぼいんじゃ?
と、思ったけど、ちがーう!
 
びっくりな方ばかり登壇された。
 

小林芙蓉さんといえば、行きたくてたまら
なかった、京都の2000人の祈りにも
登壇されていたのでは?
 
胎内記憶をまとめている産科医の池川
明先生と長南華香さんも、登壇されて
いたけど、遅れて参加したので聞けず。
 
以前に講演会に参加したから、まいっか。
 
こないだ、あこさんちで池川先生の映画
会に行けたし。
 

なんてことを思いながら歌を聴く。
 
右の書がステージで当日書かれた小林芙蓉
さんの「光」の書。
 
子どもは、ひかりっこだものね。
 

フランスで勲章をいただいている
海外著名な松井守男画伯も来日され、
部長、よろこび、ひとしお。
 
京都の大寺院の非公開の襖絵を描かれて
いて、細密画で「愛」ってたくさん
描いているんだよ!と、物理学者の
保江邦夫さんがお話しされているのを
聞いていたから、拝見したかったのだ。
 
今回、マザーアースのために、松井ブルー
を使った絵を描いておられる。
 
絵画の世界では、このブルーという色を
出せるには10年かかるそうだ。
 
またしても、ロール10年か!
10年が当たり前って、そんなものか。
 
20世紀の抽象画でも、青は特別で
ピカソも青の時代があったし、
青といえばクラインブルーだろうな。
カンディンスキーやマティスも
青が印象的だ。
 
ここらへんの抽象画は、母親に連れられ
よく美術館で本物を観せてもらった。
 
抽象画なので、具象絵画と違い、その
背景となる神話や聖書のことを知ら
なくても、子どもは感性で観る。
 
ということで、子どもたちにライブで
この体験をさせたくて、家族総出で今回の
マザーアースに寄らせていただいた。
 
ステージには、大きな大きな松井氏の
絵が背景に飾られていた。
 
あー、ステージのあの絵を間近で観たい!
 
ねぇ、パトラッシュ!
君は観えるかい?
と、ネロのネタをしたくなるくらい
ど迫力の松井画伯の「遺言」という絵。
 
 
ドーン!
この絵、すごいエネルギーなのですわ!
ボルテックス!
 
 
 
こちらは「愛」という漢字で埋め尽くされ
ている。
ピカソのゲルニカを思わせるエネルギーだ。
 
こちらの絵画を間近で観られないかな?
と、願っていたら、願えば通じるもので、
最後にステージに上がって歌と絵を描く
行程を観ていいよ!とのお知らせが
あったので、いそいそ、ステージへ。
 
 
涙腺崩壊の歌を弾き語り、その横で、
大きな絵を描くというライブだ。
 

どうして、マザーアースに共感したのかを
語ってくださり、お母さんが地球を
救うんだという話に泣ける。
 
お母さんではなくても救えるかと言うと、
お母さんもお父さんも居なくちゃ、
子どもたちは誕生できないし、
ご先祖様もいないのだけども、
なんだかんだ言って、母親的な養育者は
絶対的に必要だ。
 
母親と母親的では、全くちがう。
 
そこまで、お母さんだけに負担を強いて
しまう日本の子育て事情は、そろそろ
解放してほしいと強く思う。
 
お母さんだって人間です!
お母さんだってくたびれます!
と、わたしは、堂々と宣言して、
いい母親であろうとは全く思ってない。
 
母親であるけれど、わたし自身も大事
なんだもの。
 
子どもはいつか巣立つ、空の巣症候群に
ならないように、子育てと自分の
人生も並行して走らせなさい!
と、大学生の時に授業でいつも言われた。
 
子育て支援の仕事をしてるけど、だから
といって、子ども第一!でもない。
 
わたしはわたしの道があるし、
子どもの道は子どものもので、
サポーターにしかなれないから。
 
お母さんが自分のやりたいことをして、
お母さんらしい道を歩いていることを
子どもたちにモデルとして見せていたい。
 
お母さんだからといって、なにもかも、
子ども優先や家族優先でなくてもよくて、
やりたいことをやり放題できるのだ。
 
自分の人生は自分でしかあるけないから。
 
でも、その礎となるのはやっぱり、
愛されたという実感と記憶だから、
愛情をかけて育てることは、
やっぱり必要である。
 
わたしにとって、子育てはとても面白い
実験で、学問として習ってきた知識を
実験し放題、子育てし放題なのだ。
 
子どもって、実に面白いし、ヒトの育ち
は実に面白いのだ。
 
こんなに面白いことをやらないなんて、
もったいないとさえ思う。
 
って、自分で産んだり、育てなくても
よくて、近所の子どもや自分の甥や姪を
可愛がるだけでも、十分、社会的な
子育てなのだ。
 
というわけで、子育ては母の手だけで、
じゃなくて、母以外の手を何本も
借りて手伝ってもらって、一緒に
社会の中で育てるのが一番だ。
 
子育てなんて、食べて、寝かせて、
特性の成長の道筋を邪魔しないで
あげればそれだけでよいのだ。
 
遺伝子の特性が発揮できるように、
環境を整えてあげればそれでよい。
 
てことで、その根底は愛だ!
愛だろ、愛!
 
コストもかかるけど(涙)。