ごきげんよう。

実家滞在、新年をまたいで7日目。

夫には年末に1日だけ上京して帰省し、
穴八幡さまのお札をいただきに
行ってもらった。

夜中の0時に阪神間の家の今年の方位に
貼るように指令を出していたので
穴八幡さまの業務は無事遂行された。

だもので、安心して
ボヘミアンラプソディーを
観て、ゴルフをラウンドして
おひとりさまライフを満喫しているもよう。

翻って、わたくし。

朝から晩まで、子どもまみれライフ7日目。

お正月のEテレを子どもらと観まくり、
(ゾロリやお尻探偵しかり)
「探検ぼくのまち」を昭和の小学生に
戻って歌う。

Eテレのお正月特番は、著名人や
アーティストがバンバン出ていて
クオリティが高いのだ。

アーカイブ的な要素もあるし、
制作者たちのEテレへの情熱と
きちんとした発達的配慮があるのだ。

「ママ、これ知らない。知ってるの?」
「知ってるよ!ワンワンの声の人だよ!」

低学年の子どもは、俳優さんが
お芝居のフィクションをしていることと
ノンフィクションを区別できない。

そうか、そういう認知のしくみだったわ!

認知とは、心理学用語で
脳がものを理解のしくみ、つまり、
学習のしくみだ。

子どもと大人の認知のしくみは違う。

大人と同じような脳になるには、12歳まで
待たねばならない。

だいたい3年くらいずつ、脳の発達段階は
細かく分かれている。

だから、小学生でも、低学年、中学年、
高学年で、学習の狙いは違うし、
教え方も変えるのだ。

でも、個人差もあるから、
遺伝子だけでなく、環境も大きい。

ま、いづれにせよ、私たち親は
それほど、子どもの育て方で
将来に影響するからきちんと
育てなくちゃ!
なんてことは考えなくていい。

だって、知能は遺伝が7割だもん。
残りの3割が環境、つまり、教え方。

この3割にやっきになるのをよしと
するか、否かってだけだ。

このような発達段階という、
育ちのしくみを
知っていると余裕を持って子育てができて、
無駄に悩まない。

発達段階を知らずに子育てする
私には恐ろしくてできないなぁ。

興味あれば、ぜひ、部長の講座で
聞いてみてくださいませ。


ということで、お正月は
近所の神社に初詣に行ったりしたくらいで、
極力、外に出ない。

積み残しの仕事を真夜中に処理して、
(日中は3匹のお世話で仕事できない)
クロスステッチをする日々。

年賀状もたぶん、溜まってるな。

持ってきた手持ちの本にも飽きて、
amazonで新しい本を買う。

子どもたちもテレビに飽きて来て、
「カルタやろう」と言うので、
トランプをする。

だが、このトランプ子どもらが
ほん投げたりで、枚数が足りず、
メモリーガード(神経衰弱)としての
機能はあまり望めない。

初売りには行きたくないけど、
限定トミカを私が欲しくなったので
スーパーに出かけた。

ネットスーパーでは売り切れだったから!

なんで、イトーヨーカドートラックが
売り切れなのか、意味不明?
転売用か?

450円のトミカが3つで1000円で、
詰められるという企画に乗ることに。

売り場の人に聞くと、
ネットスーパートミカトラックは
元旦で売り切れたそうだ。

大人のトミカファンは根強いのね。

非売品のクロネコトラックも
高値だし。

本屋さんで、上の子は本を読みまくって
楽しそうにしているが、

「ママ〜、まだ?帰ろうよ」コールを
未就学児の中子が連発。

「ママだって、本を読みたいの!
ママだって、勉強したいの!」
と、叫んで、粘る。


中子のリクエスト、カルタもゲットした。

本屋さんにはたくさんのカルタが
売ってるけれど、いろはカルタは
ことわざが自然に遊びながら
覚えられるので、当然、これだ。

俳優香川照之のテンションの高さが
好ましい「昆虫すごいぜ!」を
大晦日と元旦に堪能した子ども用に
ドラえもんの学習漫画を仕込む。

ドラえもんの科学ワールドシリーズは
テーマに沿うドラえもんのよりぬきで
ドラえもんの扱うテーマの
守備範囲の広さはさすがだ。

のび太がアリの生態観察にハマるお話が
私はとても印象に残っているのだけど、
そのお話がこの科学シリーズにも
収録されていた!

漫画だからと言ってバカにする人は
今時いないと思うけど、漫画も文学だ。

本と漫画は同じだ。

ただし、やはり、制作者のコンセプトは
しっかりしたものでないと、教育的には
意味がない。

教育といえば、エンターテイメント的な
ものは
ダメ!というわけではない。

お尻探偵、ゾロリはエンターテイメント
だからダメ!
なんてことはないのだ!

子どもを本好きにしたいママたちは
子どもがこの手のエンターテイメント本や
図鑑ばかり読んでいることを憂う。

だけど、それでいいのだ。

活字を追って読むことに苦手意識を
持たなければ成功なのだ。

漢字、ひらがな、カタカナ、
日本語は表記だけでも3種類あり、
これらを拾って文書を理解することは
かなり高度な知的活動だ。

そこに、ゾロリのような挿絵や
ダジャレを助けとして読書の扉を
開くのだ。

ほら、小学生の教科書だって、
低学年は字が大きくてカラフルなのは
年齢によって理解力が違うから。

発達段階によって、知的活動は違うのだ。

また、遊びと学びの境界は
つける必要はない。

ということで、子どもは
サバイバルシリーズを読みながら
私は本を読みながら帰った。

活字を追うことが苦ではない子どもに
したかったら、まず、親が本を読むこと。

スマホをフリックしていては、
読解力は身につかないのだ。
(脳の活動部位が違う)