さて、おみくじを引き、お願い事を託して、安房神社を後にして、
向かった先は・・・
スピ部員たちは、お腹が空いたのである。
中村屋さんというパン屋さんの2階のバフェテリアで、昼食をとり、しばし休憩をとる。
(東京は本郷の中村屋さんが第二次大戦で疎開先に選んだのが館山らしい)
この中村屋さん、客層が妙に広い。広すぎると言うくらい、
アットホームで、地元の人に愛されているようだ。
このまま中村屋さんでまったりコースになりそうな勢いを何とか回避すべく、
部長がここで、「館山城」登頂を提案すると、Bさん快諾の運びと相成って、
駅舎の奥にぼんやり見える「館山城」らしき方向へ歩き始める。
なにせ倹約旅行であるから、レンタカーなぞ借りる訳がない。ましてやお互いペーパーゴールド免許保持者である。
バスが通ったら乗ろうと、地元野菜の販売所など寄り道をしながら、3km先の城へ歩き始める。
途中で、バス停を通過し、念のために時刻表を確かめると、
3分前に出たばかりとわかり、あきらめて歩き始めて3分後、
そばをバスがぶぉーっと通り過ぎていく。
ああ、無常。
レ・ミ・レ・ザ・ブ・ル。ユーゴー。
こんな連想が頭を駆け巡りながら、また歩く。
ようやく城につく。
すぐに帰りのバスはきちんと時間を確かめておいたのはいうまでもない。
日ごろ、スピ部の活動として、箱根にいったり、神宮を歩いたりと、
足腰を鍛えているお陰で、部長が軽く足がつったくらい。って、つってるよ・・・。
館山城は、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」で有名な里見氏が
晩年をすごした城である。
もちろん再建で、中は市の博物館分館になっており、
八犬伝グッズが展示されているゆる~いお城である。
なんとなく外から見上げる姿も、天守閣に上ってみても、以前見た感じが抜けない。
なんてこれまたスピ部ぶってみたが、なんのことはない、
部長が館山城にデジャヴを感じていたのではなくて、
本当に名古屋の犬山城を模しての再建だったらしい。
(「埋もれた古城」♪ というHP勝手に参照)
城をあまり熱く語る部活ではないので、城のことはこのへんで。
帰りは、バスでぶおーっと駅へ戻り、部長の城登頂野望への
へんな趣味につき合わされてしまったBさんのリクエストで駅からすぐの海岸へ。
Bさんが波と戯れている間、部長はぼんやりと、
「あー、ここで地震が起こったらやだなー。
津波がきたら、すぐだよなー。駅まで走る時間があるかなー。」と
やたらと津波のことが気になって仕方がなく、内心早く帰りたいと願っていた部長であった。
そして、帰宅すると、インドネシアで夕方地震があり、
津波で現地の方が随分と被害にあわれていると知る。
さすがに怖くなってしまった。地震はインドネシアだったとは・・・。
地震と言えば、母親とトルコ旅行に出掛けたときのこと。
遺跡を巡る旅だったので、バスから現地の人が日干し煉瓦で鉄筋もいれずに
家を建てているのをあちこちでみかけ、
「地震が来たらいっぺんで倒壊だね~」と話していた翌日、
トルコ大地震に遭遇したことがある。
地震とこの言葉の結びつきは関係ないといえばないが、
しばらく母親と言霊の怖さを語ってしまったエピソードである。
天変地異も、言霊もどちらもやたらと恐ろしがってもいけないが、
馬鹿にはできないものである。