今日は、スピ部活動として、スピ部員さんと大光寺さんの「七夕のお祈り」へ。
七夕は全ての縁を結ぶ日とのことで、いろいろな縁結びをお願いし、ひたすら祈る。韓国語の般若心経は構音満載なので、3回唱える間に酸欠になりそうな勢いであった。
部長は特定の宗教宗派に属していないが、単なるお祈り好きなのである。
お祈りマニアの域にあるような、ないような。
小さい頃から、よそ様のお宅に上がった時には、
仏間があれば「ちーん」と鐘を鳴らしてお灯明をともしお線香を手向けてご挨拶したり、
キリスト教の学校に通っていた時は、「キリエエレイソーン♪
」「主は私たちを導いたぁ~」などと急に歌い、
かなりのお祈りへの傾倒ぶりを見せていただけに、年季が入っている。
キリ教のお授業は、自分が生かされているということ、感謝のこころを何よりも自覚させられた。
学生の中には信者の人も当然いるわけで、キリ教がベースで何事も進み
(当然、宗教的教義と授業内容は相反したりで、教授陣もいろいろあるわけだが)、
その学校では日常の中に祈る行為があることは当たり前であった。
などと、ちょいとスピ部ぶってみたが、帰りにはしっかりとお供物のメロンと
百合の花を頂いて帰る現金ぶりは忘れていない。
スピ部イギリス支部長から頂いたキットソンのサブバックを持参していてよかった
(持参しているところがまた俗っぽさ満載)。
丈が1mはある一輪の百合の蕾を片手に新宿の雑踏を抜けて、
お茶をしながら、活動のまとめとする。
(この百合はかなりのインパクトがあったらしく、質問を多く頂いた。)
3日後に咲いた鉄砲百合
相方のスピ部員さんは、この1週間で3人から「人間力についての話を聞く」
というシンクロ現象があったとのことで、そのシンクロに部長も加担したらしい。
それは、啓示でしょうと、活動を締めくくる。
ちなみに部長は「部屋を片付ける。整理整頓」が啓示であ~る。結局人間は、物をたくさん得たところで「全部こころ」、
こころ以外来世にもっていけないとのお言葉にどきりとする。
帰宅したら部屋を片付けるぞと決意したものの、
片付けずにこうしてブログ書いちゃっているのだから、相当弱い意志であることよ。