人が生きていく上で必要な物って何だろう
簡単じゃないかもしれないけども 一つだけあげれるのであれば それは 仲間なのかもしれない。
人は楽しみを共有できることで幸せを感じれる 逆に孤独を感じると幸せを感じなくなるという
つまり何かを得たとしても誰かと共有できなければ それは 半減してしまうということなんだろう
自らを発信しなければ楽しみを得られないということに今の子たちはきっと気づいていて それが故によくないことまで 動画で発信してしまっているんだろう
不特定多数の人と共有できればいいという問題ではなく自分が知り得る 親しい友人や 仲間と時間を共有することによって楽しみを得られるのだと思う
世の中には そのような楽しみから自ら遠ざけてしまっている人たちもいる
そのような悲しい人たちをなるべく
減らせるような努力が
今後 社会では必要になってくるのかもしれない
私の周りにはたくさんの仲間がいることを実感させられる 困っていた時に声をかけてくれる仲間や自分が困った時に手を差し伸べてくれる仲間などそういう仲間に恵まれているんだとそう思う。
でもそれを当たり前だとは思っていない もちろん やってくれたことに対して それ以上の感謝を持って接している
でも 世の中には 形だけというもの そういう人たちも存在する。
本当にこの人と深く付き合っていいのかどうか どう接してればいいのか考えさせる機会はよくある自分が追い込まれた時にどのように接してくれるかでその人の本質がわかる。
そして付き合いをしていく中で本当にこの人が必要なのだろうかというのを今一度考えさせられる。
不安を煽るようなことをずっと言い続ける人とは一緒にいたくないと思う。
なぜならば 自分が前向きな気持ちになっているのに関わらずその人の一言で自分の気持ちも 盛り下がってしまうから。
常に人に影響力を与え続ける人は常に前向きなんだと思う。 そのような人が発する言葉はどこか エネルギーを感じる。
言葉の一言一言に気迫を感じられなおかつ 言葉の 発音 だったり語尾が綺麗だったり 言葉に 美しさを感じられる。
声で人にエネルギーを届けられる人は才能なんだと思った。
不思議と 人間はそういう人たちに集まってくるんだって私の恩師が言っていた 確かにその通りだと思う言葉を聞いてその紡いだ言葉が綺麗な人はとても素敵な人なんだと思う。
私自身 そのような人たちと関わっていく方がいいと恩師にお説教を食らった確かにその通りだと思う 綺麗であり続けること それは日々の努力から成り立つものであり その日々の努力は普段の生活に反映されるものだと。
私自身 これからしっかり 努力を重ねていく 身としてやはり 周りの人たちもそうやって努力を重ねる人たちを周りに置いた方が自分自身にも刺激にもなるし そして一番大事なこととして自分のやっていることに応援してくれる人たちを仲間にしているということが何よりも大事なんだ。
どうせ無理とかそんなのできっこないよとかそういうやる前から無駄だとかそう感じさせるような言葉を多用する人たちと関係を断つべきだとそう教えられました
私の周りには努力をして前に進んでる人はたくさんいますが 一部 人生を悲観して後ろ向きに生きている人たちもいます 私もそのような人たちをないがしろにしてはいけないと思ったので 平等に接していましたが 1つだけ分かったことがあります なぜ悲観している人が仲間ができないのかということです。
それは簡単なことでした 悲観 をしている人たちは確かに自分の環境や 自分のしてきたことについて取り返しがつかないと感じているのもあるかもしれません しかしそこから這い上がる人もいます その中で 這い上がることができないのはそれを自責ではなくて他人のせいにしているからです。
そして自分よりも醜いものを見つけ その対象に自分の方が上回っていると言葉をぶつけるのです。
弱い立場から強い立場へと変わった時 それをやり返そうとしているのです そのような人たちが一定数いて自分が弱いという状態があるので手を出さないだけ。
自分の立場は逆転したら いつか やり返してやろうっていう人が周りにいるんだなぁということを改めて感じました
殴られたから殴り返すのではなくて他の解決法が絶対あるはずです。
大人になっても子供の時のトラウマをいつまでも 言い続ける人もいます その人にとってはそのことはとても辛いことだったのかもしれませんが それを乗り越えて次へ行く という決断をする時が来ると思うのです
自分と向き合い何が今大事なのか それを見極める必要があるんです なので 私は決めました
今後生きていく上で仲間とどう向き合っていくのか どのような仲間と一緒にいるべきなのかゆっくり考えたいと思います