お疲れ気味の私です。

色々とありました。

日々を振り返りながら、書いてみる。

昔は、しっかり自分と向き合う時間があって。
趣味も部活もって感じだったのに。

今は、つまらない日常に振り回され。

友達同士での衝突や、職場でのいざこざ。

女同士でのdisりに、なんとなく話を合わせる日々を送っている。

一時的に、席を置いているこの職場に愛着もない。

はやく、自分の新天地が訪れないかと。

日々をがんばっているものの。

なかなか、実らない。

時には、酒でも飲まないとやってられない感じするけど。
まぁ、いいや。

にしても、疲れました。

私がかける言葉には、悪意はありません。
悪意を感じていたら、ものすごく冷たい言葉&むしろ関わりたくないから話しません。

ですが、私は基本的に。

思ったことを伝えるようにしていますので、熱が入ると。

言葉が攻撃的になる。

昔からそうなんですけどね。

結果、口喧嘩で負けません。

私は、暴力を封印したので。
口頭で戦い。そして、いろんなものを守ってきました。

自分自身以外にもたくさんのものを。

その話ぶりをみて、先生は弁護士になれと、言ってきましたが。

そこまでの頭はありませんでしたので。

目指しませんでしたが、議会の答弁とかしてみたいかも。
って思っていたこともありましたね。

そんなことは、さておき。

どうして人は、人をdisったり。嘘ついたりするのでしょうか?

女性の多い職場はいつもそんな感じ。

やっぱり。
自分の保身なんですよね。

自分を守れるのは、自分しかいない。

だから、人は自分を守るために。
嘘をつき、人を騙したりすることがある。

これは、正常な人の場合であって。

正常な考えを持たない人は。

嘘をついて、人を騙して、
その場をやり過ごして。

そのあとなかったことにする。
犯罪者は、そのように考えている。

どうだろう、悪いことをして隠そうとして、割れたお皿を見えないところに隠す子供のように。

人は、犯した罪から逃げたくなる。

それは、怒られたくない。
悪いことをしたけれど、それを認めたくない。
子供の言い訳にすぎない。

その子供は、いつか気づくんです。

『隠したところで、いつかバレる。いっそのこと。ほんとのことを言った方が、後々楽なんだ。』
と、

そして、子供は思うのです。
『お皿が割れる可能性があるのに、こんなところで遊んでいる自分が悪いのだ。』
と、

それが、成長すること。

しかし、大人になるまでにそのような経験をしてこなかった。
大きな子供は、悪びれる様子もなく悪いことを続けるのです。

そして、最後にこういい放つのです。

『僕は、悪くない。みんなが悪いんだ。そんなこと、今まで教わってこなかった。知らなかった。』って。

こうさせたのは、紛れもなく。

親の責任です。

親の過保護が、こうしてしまった。
ですが。

考えてください。

人一倍大人びている大人は、もしかしたら。
過保護に育った人のことをうらやましいと思っているかもしれません。

自分が小さいときに、わがままも言えなく。
大人になるしかなかったのなら。

甘えかたも知らないのかもしれません。

人に甘えられなかったから、大人になって。
辛い思いをして、生きてきた可能性も否定できません。

本当に辛いのは、大人になれずに大人になった人よりも。

子供時代に、大人になりたくなかったのに。
大人の理不尽を押し付けられ。

仕方ないことだと、諦めて育った。

大人びた子供時代を育った人なのかもしれない。

甘えれるのは、子供の特権。

耐えるのは、大人の責務。

あぁ、なんか書いてて疲れたなぁ…。

むずかしいよねぇ…