今日は、呪(じゅ)について。

呪と書くと、呪い?って感じで、ついついマジナイとか、恨みとか、妬みなど、悪い方向の言葉に考えがちですが。。。。実は、「呪」とは「呪い」のことではありません。「捉われ」と言った方が当りかも。

ここで今から話す「呪」とは、全くの別物であり、先入観や固定概念を払拭して聞いていただきたいのです。

そんなん無理や~と言う方に。ちょっとわかり易い説明的補足をつけますね~。

え~と。。。。

例えば名前ですね。

例えば、何ヶ月も会って居ない友人が居たとします。
例えば「木下優子」としましょう。

さて、優子さんのいない時に、彼女の話が出たとします。その時、あなたは、優子さんを想像すると思います。しかも何ヶ月も前の優子さんですね。で、あなたは優子さんを想像しながら彼女の話をするとします。
しかし、やはりあなたの中では何ヶ月も前の優子さんのことを言ってるに他なりません。

お分かりでしょうか?
もしかしたら、この何ヶ月で、現在は人間的にも成長した優子さんが実在しているかも知れないのですが、あなたは今の優子さんを知らないでいながら話をしていることになります。

また、本当に優子さんに出会ったとします。

でも、あなたの中で作り上げられた優子さんの像が邪魔して、今の優子さんを見つける事が出来ない場合があります。
優子さんとはこんな人という先入観が実際の優子さんの像を見えなくしてしまってるのです。

人間関係の面倒くさい話みたいな内容になりそうなので、この例え話は深くは進めませんが。。。

つまり、何が言いたいのかと云うと。

そうです!賢明な皆さんならもうお気づきでしょう!

呪とは、捉われそのものなのです。

固定概念が邪魔をして、それ以上の想像が出来なくなる事。または、行動出来なくなる事。

そう!それが「呪」なのです。

世の中には、人生を生きている人々には、多くの様々な「呪」が存在します。

親から「あなたは泳げない」「泳げない」と教え込まれた人は、自分は勝手に泳げないものと思い込んでしまって、本当に泳げない一生を送る事となります。
ところが、誰しも経験があるとは思いますが
出来ないと思っていた事が出来た瞬間。
絶大な喜びを感じませんでしたか?

例えば、先ほどの、泳げない人が、ある日突然泳げた時。
その喜びは本人に取って想像を絶するものだと思います。

泳ぐという新しい世界が広がった瞬間でもあります。

今まで避けていたプールも、遊びの選択肢に追加されますね~。

彼女とのデートコースに、海水浴も加わることでしょう!

この喜びとは。。。。

そうです!(デートコースが増えて嬉しいとかではないですよ。)

今日は賢明な読者が多くて助かります!
この喜びとは、「呪」から解き放たれた瞬間の喜びなのです。

人は、多くの呪の中で生きています。
その一つ一つの「呪」からの己の開放こそが、人生を生きる喜びであり謳歌出来る権利を獲ることなのです!

出来ないと思っていた事、今まで無理だと思っていた事を

もう一度やってみましょう!

そして出来た時は、新しい自分の発見につながり、それは輪廻を打ち破る作業の始まりなのです。

だから嬉しいのです。だから楽しいのです。

人に不可能はありません。想像力は無限大です。可能性を埋もれさせる事ほど生きる事において、罪な事はありませんよ~。ご先祖さまも、そんな事を望んではいませんから~。

潜在している能力を解き放つ事。心や精神の開放こそ、幸せの第一歩です。

先ずは、自分に向き合う事。

自分の力を信じ、自分を愛でてあげましょう。
自分を一番知っているのは、自分に他ないのです。

自分を愛する事が出来る人は、人をもっと愛する事が出来る人。

その努力のすぐ傍に、神様は居て、そっと手を差し伸べてくれます。

「おお~、ようがんばっとるの~。大したもんじゃって。。。」って言ってるかどうかはさて置き。



そして出来た暁には



一緒に喜んでくれる事間違いなしです!

絶対に。

ね~~~。

何か、「呪」の説明だけで終わった気が・・・・。

ま~いいか。