さて、 いよいよ切羽詰まったのでしょう。その現状を相談したのが、その頃担任だった矢田先生です。
「お母さん、家を出て行って、いない」とか何とか。
ズル休みして悪いという罪悪感もあったのでしょうから自分に良い様に言ってたとは思います(笑)。

その事で事態は急変します。

このままでは駄目だと家族会議が両家立会いの下、おこなわれます。
母が姿を見せたのは、この家族会議の時。
引っ越す時の前(小学校6年生の頃)です。

家族会議でも母に抱きつく事も出来ず、
「お前は何処に(どちらの家に)行きたい?」と選択を迫られました。小学校6年生にこの選択肢は酷です。しかも両親は私を見てます。

そして母の言葉
「あんたはいらない」

これには結構ショックです(笑)今も記憶に残ってますからね。
(お子さんがいらっしゃる方、もしくは、将来もうけられる方は決してこの様な言葉は使わない様に。取り返しがつきませんよ。親も子供も。)

そして、私と弟は、岡山の父の実家に(祖父、祖母)に頼る事になります。

岡山に引っ越します。
小学校までは、とか親族の会議では言ってた様ですけど、多分もうその場所には居たくなかったんだと思います。

母親はその当時貯蓄もない筈です。
そこで私の(子ども)お年玉の貯金を持って家を出たらしく、その事実を、恨みがましく、言っていた父の顔も覚えています。

岡山で20歳くらいの時かな?
急に知らないおじさんから電話があって岡山の倉敷で会う事になります。
脳裏の記憶で見た顔でしたのでその人が多分母の浮気相手だと思います。
(真実はまだ謎ですが)

私の変わり果てた(笑)姿を見て(本当に変わり果てていました(大笑))

「おじさんのこと知らんやろうな~、よく頑張ったな~」と言われました。
いきなり現れてそんなこと言われてもな~・・・という感じですね。

この事実に関して一切、私は父に対しても母に対しても恨むこともありません。
かつては、こだわってたのかも知れませんが、
ここに書ける様になったのが克服した証と言いましょうか(笑)
人間は生きてると色んなことがあるのです。きっと。
だから自分に架せられた呪は自分で振り払って、そして事実だけは背負って。
子ども達に伝えたいのです。同じ過ちを繰り返さない様に。もちろん、繰り返してもいいです。
背負えばいいのです。

当然でしょ?
生んでくれた親だもん。
育ててくれた親ですもん。
許すもなにも
そんな権利は俺にはない。

だれが何と言おうと生かされて、そして生きていくのです。

今現在は、母ともよく連絡を取っていますし、仲も良いですw(迷惑かけどうしです)

ご静聴、ありがとうございます。