さて、その日の夜事件は起こりました。
私は母に添い寝をしてもらいながら、うとうとしていました。
そこへ激怒した父が。
状況がおかしいと思った私は飛び起きましたが、横の母は私を引っ張り
「寝なさい。」の合図。
寝た振りしてた私と母。
父はいきなり寝室に入って来て母の腹を蹴りました。
痛がってた母は、大丈夫と合図をしながら、必死で私をかばっていました。
その頃弟も横で寝ていたと思います。3歳か5歳?
もっと小さいころかも知れません。
その次の日か明後日、ま~そんな感じの朝のことです。
父が仕事に行った後、
急いで身支度してる母の姿を見ました。
その時の母の顔は今でも覚えています。
でも、止めることは出来なかったです。
母親も辛かったのでしょう。当然ですよね。
「ごめんね。ごめんね。」と連呼してました。
そして出て行きました。
母の浮気が原因などと幼い私が知る由もありません。何がごめんなのか?何がどうなっているのか?
後で迎えに来るつもりだったかも知れません。
でも子供が邪魔だったというのも確かかも知れません。
その頃、夜逃げ同然の母親に仕事なかっただろうし、育てる余裕もなかったと思います。
(母はバツ一でして、過去の同じような貧乏な生活を子供にさせたくなかったのかも知れません。
私はその母に親一人子一人で2歳~6歳まで育てられました。)
その後結局幼少の時期には母親とは会っていません。
(後に家族会議の時に久しぶりに会います)
さて今度は5年生、6年の途中まで、父1人子供2人の生活です。
帰りの遅い父の為に弟を保育園に迎えに行ったり、食事作って食べさせたりしていました。
大人の気持ちを汲み取って、子供らしくない、気を使うのを覚えたのはその頃だと思います。
父の食事も作っていました。米も見よう見まねで炊いてましたし。
なんにしても私は連れ子だったので、その父とは血縁関係はない訳です。
弟は父の子どもですね。
(憎い女の連れて来た子供、)いつほおりだされても文句言えない状況だったと思います。
20歳を過ぎたあたりに父から聞いた話ですが。
この時、父は私と弟を道連れに死のうと思っていたそうです。
私は母に添い寝をしてもらいながら、うとうとしていました。
そこへ激怒した父が。
状況がおかしいと思った私は飛び起きましたが、横の母は私を引っ張り
「寝なさい。」の合図。
寝た振りしてた私と母。
父はいきなり寝室に入って来て母の腹を蹴りました。
痛がってた母は、大丈夫と合図をしながら、必死で私をかばっていました。
その頃弟も横で寝ていたと思います。3歳か5歳?
もっと小さいころかも知れません。
その次の日か明後日、ま~そんな感じの朝のことです。
父が仕事に行った後、
急いで身支度してる母の姿を見ました。
その時の母の顔は今でも覚えています。
でも、止めることは出来なかったです。
母親も辛かったのでしょう。当然ですよね。
「ごめんね。ごめんね。」と連呼してました。
そして出て行きました。
母の浮気が原因などと幼い私が知る由もありません。何がごめんなのか?何がどうなっているのか?
後で迎えに来るつもりだったかも知れません。
でも子供が邪魔だったというのも確かかも知れません。
その頃、夜逃げ同然の母親に仕事なかっただろうし、育てる余裕もなかったと思います。
(母はバツ一でして、過去の同じような貧乏な生活を子供にさせたくなかったのかも知れません。
私はその母に親一人子一人で2歳~6歳まで育てられました。)
その後結局幼少の時期には母親とは会っていません。
(後に家族会議の時に久しぶりに会います)
さて今度は5年生、6年の途中まで、父1人子供2人の生活です。
帰りの遅い父の為に弟を保育園に迎えに行ったり、食事作って食べさせたりしていました。
大人の気持ちを汲み取って、子供らしくない、気を使うのを覚えたのはその頃だと思います。
父の食事も作っていました。米も見よう見まねで炊いてましたし。
なんにしても私は連れ子だったので、その父とは血縁関係はない訳です。
弟は父の子どもですね。
(憎い女の連れて来た子供、)いつほおりだされても文句言えない状況だったと思います。
20歳を過ぎたあたりに父から聞いた話ですが。
この時、父は私と弟を道連れに死のうと思っていたそうです。