神様への質問を公開でお答えする、ドキドキ神様ほっとらいん ドキドキ

今回のご質問は、「あさがお
さんからです。(質問受信日:09年4月4日)

-----


母と娘の関係について教えてください。

私は結婚して実家の近くに住んでいます。

私自身も二児の母となり(3歳と0歳)育児に追われる毎日です。両親にはしょっちゅう子守をお願いしたり、とても感謝しています。

人生においても、金銭面にも結婚についても、母(両親)
にはとても感謝しているのですが、仲良く話していると、いつもいつも喧嘩になります。

私は母の言葉使いが気になり、(例えば 私「最近は入学式にも父親が来る人が多いね」母「そうやね、
アホみたいに。」)母からすれば、人の言葉尻を捕らえて怒られるのが不快で、身内で本音でしゃべっているのに、すべて娘(私)の思うとおりの答えでないと怒る、わがままだ。と感じているようです。

私は昔より、
母に頭を押さえつけられているような感じがしています。でも自分の思うようにしようと反発しつつも、どこかで母の価値観が気になり、結局母の薦める人と結婚しました(しかもこれが大正解だったのですが。)

私が大人にならなければと思うのですが、
すぐ同じ繰り返してしまいます。それでもまた、子守をお願いしたり…自分でもずるいなあと思います。

いいかげんこの課題を卒業したいのですが。。
辛口で結構ですので、ご意見お待ちしております。

-----

龍:「っくう~~~!親と口喧嘩、これもおつらいでしょうねえ。。。」

神:「あなたの場合。いつか逆転する日が訪れます。」

龍:「うほおっ!!!」

神:「人生の経験が逆転することはありませんが、
あなたの手のひらの上に、お母さんが座る日が来ます。それまでに、あなたはどんどんお母さんとけんかして、確かめあってください。」

龍:「えっと、何を確かめあうのでしょうか?」

神:「血です。」

龍:「血?」

神:「はい。あなたは、あなたの子どもさんに対する応じ方に、
成長するにつれ感じてきます。ああ、やっぱり親子だなぁと思います。」

龍:「!!!」

神:「親と子は、血で繋がっています。それを確認するのです。」

龍:「確認することで、何が生まれるのでしょうか?」

神:「ふむ。いい質問です。確認することで、あなた自身の存在。つまり、
この世に生まれてきた意味がわかります。」

龍:「生まれてきた意味・・・。
それを知りたい方がたくさんいらっしゃる中で、あさがおさんは親子関係を確認するだけで見えてくるって。。。めっちゃラッキーですね!!!」

神:「本当は、皆さんがその可能性を持っているのです。
親子関係を深く掘り下げてみると、意外とヒントがたくさん転がってるものです。しかし、照れくささや、生理的反発心などが作用して、目が見えなくなる方が多いのです。」

龍:「もったいない話かも。。。」

神:「例えば、『お母さんみたいになりたくない。』
と思えばそれがヒントです。」

龍:「ええっ!ど、どこが!?」

神:「お母さんみたいな生き方を否定することによって、
じゃあ自分はどう生きたいのか。結局同じような生き方をしているんじゃないんだろうか。いや、自分は違う!じゃあ、どう違うのか。と考えを進めていくきっかけにもなるのです。」

龍:「なるほど。。。」

神:「となれば、
親子関係をじっくり考えてみることは悪いことではない、と思いませんか?」

龍:「たしかに!で、でも、
親と子の絆を結べない状態の方も、たくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。。。」

神:「そうですね。その場合、無理に絆を作ろうと考えると、
ボタンのかけ違いが起こり、それに気づかず進んでしまいます。そういうときは、結ぼうと努力しない、ということも選択肢の中に入ります。」

龍:「努力しなくていいんですか???」

神:「はい。時間をかけてもいいです。離れましょう。」

龍:「!あえて、離れるのもアリだと!」

神:「親と子は、血は繋がっていますが、主従関係ではありません。
子がある一定の時期になると、親を引っ張っていくことになります。そのように親が理解していないと、そうならない場合も多いですが、一般的には老いては子に従え、なのです。」

龍:「やっぱいい格言なんですね、それ!まあ親にすると、厳しい選択かもしれませんが!」

神:「私の持論では、親から見ると、若いうちは子どもを可愛がり、
中年で子どもを放し、高年で子どもを捨てよ。です。

龍:「モ、モア厳しぃーーーッ!」

神:「子どもから見ると、幼年時代は親に甘え、若者時代は親を捨て、
中年で親を許し、高年で親を拾え。になります。」

龍:「あ、どっちも、離れる時期があるんですね。。。」

神:「そうです。離れなければならないときがあるのです。
そこに来たら、躊躇してはいけません。子どもの立場でいうならば、いずれ許し、拾うときがくるのですから、今捨ててもいい。という、ちょっと乱暴な論理ですが、できない人は、それを思ってもかまいません。」

龍:「離れるために、あえてその論理を使う場合もある、と!」

神:「はい。結局、親子関係が気まずい人々は『
お互いの幸せのためになること』がなんなのかを知らずに過ぎてきたということです。」

龍:「こ、ここがポイントかあ~~~!」

神:「親子関係を見るときに、『今』の問題をみるのも大事ですが、
大きな目で俯瞰することも大事になります。そのことをご理解いただいて、いつかあなたの手のひらの上にお母さんを乗せてあげてください。」

龍:「大きな目で、将来を見越して、ぜひ!」

神:「
あなたの本当の心は、お母さんを半分認めて、半分認めていない状態です。今は、半分以上認めているように思いますが、今すぐ全部を認める必要はありませんからね。」

龍:「うん!時間をかけて、いきましょう!」

神:「
認められないところがでてきても、『ああ、お母さんらしいわ』と言ってしまえば、それが認めることになっていきます。いやみで言っても、言葉的には認めていることになるのです。けんかになっても、『さすがお母さん』と言い切ってしまえば、逆転の時は早まります。」

龍:「あはっ!そのヒトコト、使えそうだあっ!!!」

神:「お母さんのことが、
びっくりするほど可愛くなる時期が来ますので、それまで今の状態を、血を確認しながら、楽しんでみてください。」


以上です。

-----

いやあ、親子関係のお悩みって多いかと思うんですが、やっぱり、長い目で見ること、が大切なんですね。

個人的には、「お互いの幸せを考えること」。これは、「お互いの死を考えること」にも通じるかもしれないと思いました。

お互いが死ぬときに、お互いをどう思うのか。ここを考えることが、「長い目」で見ることの手助けになるような気がします。

親から見ると、若いうちは子どもを可愛がり、中年で子どもを放し、高年で子どもを捨てよ。子どもから見ると、幼年時代は親に甘え、若者時代は親を捨て、中年で親を許し、高年で親を拾え~

この言葉、僕も胸に刻んでいきたいと思います!

あさがおさんが、素敵な親子関係を築けるように、僕もお祈りしております!


「さすがお母さん!」と言った時点で、ニコニコ
手のひらに乗せている気が!(笑)ラブラブ!



-----


さて、次回の神様ほっとらいんは、


なおぷう」さんからいただいた、「私と妹の神様はどんな方ですか?」という内容です。


どうぞ次回をお待ちくださいね!