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第四章 ~四行の杖~


子どもが近づいてくることを認めた棟梁らしき人は、
最初少し驚いた顔をしてサチを見ましたが、また仕事を続け始ます。

サチはかまわず歩き続けて、
いよいよ話しかけられそうな位置までくると、棟梁らしき人がまたサチを見ました。するとその男は、少し迷惑そうに首を振って仕事をやめ、自ら近づいてきます。

サチは、緊張しながらその目を真っ直ぐ見て言いました。

『家もなし、親もなし、食い物なし』

それを聞いたその男は、一瞬戸惑いましたが、
サチの率直な目と態度と物言いが、たいそう気に入ったらしく、大笑いしてサチのこうべをなでました。

『どこから来た』

大きな声です。サチは指を天に向けてさしました。
男はいよいよサチを気に入り、言いました。

『ほう!天から参ったか。はっはっは!お前は御天子さまとなっ。
よし。ついて来よ。』

その男の名は、四行(しぎょう)と言いました。


皆からはオンシと呼ばれている四行は、
仕事の手を休めてこちらを見ている男達に、続ける指示を出して、笑顔で手招きして休憩所らしき屋根つきの小屋に案内してくれました。

そこには、荒くれた男達が、
やはり白っぽい着物を着て体を休めています。

まあ水でも飲めと、
欠けた茶碗に甕水を注ぎ手渡してくれましたが、サチはそれを受け取らず、まず礼をしたのです。

『以後、お世話になり申ーす!』

そこにいた男達は、座って頭を下げるサチを見て吹き出し、
一瞬で好きになってしまいました。礼儀正しい中にある、子どもらしいふてぶてしさが気に入られました。

四行が満足そうな顔をして茶碗を手渡すと、
その大声でまたたずねます。

『名はなんと申す』

サチは、父親の名を名乗ることにしました。

『カクジ』

その日からサチはカクジと呼ばれることになり、
さっそく手伝いに入ることになりました。その集団がいったいここで何をしているのかは、サチにはまだ見当もつきません。聞こうともしませんでした。いずれ教えてくれるだろうと思っておりました。

しかし、
眺めてみると、背の低い柵をこしらえて、その中には平屋の家らしき骨組みがあり、まだまだ完成されていない状態で、しかも大工の玄人がやっている仕事ではなさそうな雰囲気でした。

サチは、礼儀正しさを特に気をつけながらも、
小賢しくならないように目立たないよう、口を開くことは最小限にしました。

そこに住まわせてもらうことになって、食べ物もあり、仕事もあり、寝るところもあるという幸せに、サチはだんだん嬉しくなってきました。

ひと月もたったころでしょうか。
毎日謙虚に手伝いをするサチを見ていた四行がある日、下のほうで折れてしまっている古い杖を持ってきて言いました。

『カクジよ。お前に仕事を頼む。この杖は、
わしがずっと大事にしてきた杖じゃが、先日ちいとした拍子にこのようにぽっきりと折れてしまった。お前にこれと同じものを作って欲しいがどうか?』

サチは、
杖など持ったこともなければ作ったこともありませんでした。

しかし、四行に世話になっていることを思えば、
頼まれて作ってみたいという気持ちが湧き上がってきたのです。

『では』

と言って、杖を押し頂き、
その構造と彫り具合をじっくりと確かめました。

その彫り物には、
何か植物のような模様があり、杖の頭には3つの丸いこぶのような飾りがついていました。全て一木造の、失敗が許されないものであることがわかりました。

サチは四行の優しい目を見ながら、緊張の意を告げました。

『これは・・・なかなかのもの』

四行はその意を汲み、

『ん、できぬか?時は鶯が鳴くころまでで良いが、どうじゃ?』

春までに仕上げればいいということを悟ったサチは、
道具があるかをたずねました。

四行はすでに準備していたようで、
布にくるまれたノミや小刀を出してきました。しかし、それらはよく見ると、刃がこぼれ、錆び、見るからに古い代物でした。それに気づいたサチは四行を見上げました。

『ぬふふ。まずは道具からじゃのう。こりゃひどい。コスケ、
研ぎ方を教えてやってくれ』

いつの間にかそこにいたコスケと呼ばれた細身の男は笑いもせず頷
き、サチを促して研ぎ場に連れて行きました。サチはあずかった折れた杖を抱えて、コスケの後についていきます。

結局引き受けることになりました。

コスケは研ぎ場でも黙ったまま、小刀を研ぎ始めます。
それを見て、サチは刃の研ぎ方を学びます。最初は力が入ってしまい、研ぐというよりも削るといったほうがいいくらいに、荒く研がれ、試し切りをしても、長持ちしません。刃を研いで試し切りという期間がひと月ほど費やされました。

ようやく自分で研げるようになったところで、
コスケが山に入る支度をしろと促すので、言うとおりにします。

今ではコスケがサチの技術指導の人になっていました。
コスケの言うことはなんでもよくわかりましたし、素直によく聞き、それを実行したので、コスケ自身もサチのことが気に入り、いないところでは自分の弟子だと自慢していました。

サチはサチで、そういうコスケを師匠とあがめ尊敬し、
たまに見せてくれる笑顔を見たくてわざとおかしなことを言っては二人で笑いあいました。

二人は山に入り、杖となる木を探します。

その山の森の中には、
サチの知らない不思議な光景がたくさんありました。


第六章  ~山の森の不思議~


まず、山に一歩入ると、工事現場で鳴り響いている音や、
男達の怒号が一切聞こえなくなり、木々のざわめきと鳥の声、そのほか表現しにくい音がたくさん聴こえてきて、サチは新鮮な空気と新鮮な風景に何度も目を見張ります。

しかも、
ところどころ木が切られて丸い広場になっているところがあったり、木を組み上げて燃やした跡があったり、縄で四角く囲まれた場所があったり、木の上から結び目のたくさんついた縄が何本もぶら下がっていたりと、なにやら人がこの山の森の中で何かやっているとしか思えない、不思議な風景がありました。

ここに来た当初、サチは、
山にはまだ入ってはいけないということを固く言われていましたので、一度も入ったことがなかったのです。そこで何が行われていようと、サチに重要だったのは食べ物と寝る場所でしたから、知ろうともしませんでした。

しかし、
これらの光景を見てとうとう興味を覚えてコスケに聞いていました

『ここはナニをしてるところだ?』

コスケは笑いながら、答えました。

『修行さ』

『しゅぎょう?』

お前にはまだ早いという顔をしてコスケは語りました。ここは、
四行が開いた初めての聖山で、日本各地を歩き通した彼がココに決めたのだと誇らしげです。

聖山を皆「セイセン」と呼び、
森の気を心身に浴びながらあらゆる修行をしているとのことでした

『で、なんのためにやってるのか?』

サチは素朴な疑問をぶつけてみました。

『ふん、それはな、実はな。』

急に小声になったコスケの話に、サチは驚きを隠せませんでした。

『ここにいる男たちはみんな罪人さ。白い着物の下には、
刺青や傷跡や、誰にも語れないどす黒い心の下り物があるのさ。』

サチはそれを聞いてようやく合点がいきました。


サチは皆に可愛がられ、男カクジとして存在していますが、少女の気持ちからすると、恐ろしい雰囲気が漂う場面を何回か目撃していたからです。もし四行がいなかったら大変なことになっていたであろう事件もあったのです。

黙って下を向いてしまったサチの気持ちを察したのか、
コスケがおどけて言いました。

『でもな、オンシがいてくれるからここは楽園さ。』

確かにそうでした。
四行の指導力はただものではありませんでした。誰もが彼の言うことには従うし、隠れて悪口をいうこともない。この聖山よりも不思議な存在でした。

サチはそれ以上聞くのをやめて、
木を探すことに専念することにしました。倒木されて、一年以上経つ、ある程度乾いたものがいいとのことだったので、なかなかいい状態のものが見つからず、時間だけが過ぎていきました。

ようやくコスケが見つけた木は、少し曲がってはいるものの、
樫の太い枝でした。

2本あったので、これはいい。ということで、
二人で抱えてやっとこ山を下りました。

二人は疲れて、会話することも億劫になりました。
あたりはだんだん暗くなります。すると、サチの中に、変な思いが沸き起こってきました。

『ということは、コスケも罪人だったのかもしれない。』

こんなに熱心でまじめで、
やさしいコスケが悪いことをしたなんて、どうしても信じられませんでした。サチは、納得がいかない頭のまま、帰ってきてしまいました。

コスケは、今日はもう休むといい。
明日はまず皮をはぐことから教えるからといって、早々に自分の宿所に戻ってしまいました。

サチは女です。もし、それが知れ渡ったら罪人ばかりの中で、
どうなってしまうのか、ほんの少しでしたが頭をもたげてきたのです。


第七章  ~タイチタイクウの神~


もんもんとしたまま眠り、朝起きて、
太陽に向かっての朝行を済ませ、皆が仕事に散らばる姿を見てもまだ心の中がくすぶっていました。

今まで、軽口をたたいていた仲良しのサタにまで、
罪人をみる目になっている自分が嫌でたまりませんでした。

自分の中の変化が恐ろしく、
このままここで生活していていいのだろうか、なぜ四行は最初に言ってくれなかったのか、自分の成長が怖い。と、思えば思うほど食欲が失せ、仕事のやる気すらなくなっていきました。

私はいったいどうしたのだろう、
と自分で自分の心のおかしさに気づくまであまり時間はかかりませんでした。四行がサチの変化に気づいて、全てを語ってくれていなかったら逃げ出していたかもしれません。

四行は、人の心の変化に敏感でした。サチを自分の館に招いて、来たときと同じように茶碗に入れた水を出してくれました。

『お前の本当の名はなんという?』

サチはドキリとしましたが、答えました。
四行には本当のことを言わなければならないという気持ちがありました。

『はい。私の名はサチと申します。』

『うむ。よし。では、わしの本当の名を教えよう。
シギョウアイヌという。』

『シギョウアイヌ・・・』

『遠い北の国から来た。
若き時分に仏法とやらを学びに下りてきたが、やはり誠は大地と大空、つまりタイチタイクウの中にあることを知って今、このようなことをしている。』

『タイチタイクウとは。。。?』

『まだお主にはわからんかもしれぬが、語っておく。

ここには、
一部の人間を除いては、人の世で罪を犯した人間が多くを占めておる。人を殺したものはおらぬが、追剥、失火、姦通の手伝い人、金の偽造、蔵破り、博打など、軽い罪を犯したといわれる輩が集まっておる。

しかし、
皆追放の罰を受けたものばかりで、古里に帰ることを許されない者なのじゃ。不憫でのう。

わしは自分の立場を使ってそのものたちを一人ひとり説き、
ここに呼んだのじゃ。今わしは、そのものたちの古里を作っておるところでな、国中にまだまだおるであろう罪を犯した哀れなものたちを捜し歩いている。』

『捜し歩いているのは誰なのでしょう。』

『もちろんここで一緒に生活しておるものたちじゃ。』

『逃げてしまうのでは?』

『ふむう。それがのう。どういうわけか、皆帰ってくる。』

サチはこのおおらかで、大きい人物を見て、改めて納得しました。
この人なら全部預けてもいいと思いました。

サチは今まで疑問に思っていたことをまくし立てて尋ねました。

『ここは、罪人を集めて何をしているのでしょうか。
森の中の縄とか広場とか、燃えかすとか、柵のような建物とか、平屋の家とか、全部何のために!?』

『おうおう。ちょっと待て。全部話すからまあ水でも飲めい。』

サチは水を一気に飲み干し、興味津々の目を四行に向けました。

『わしは、神の声を聴いたのじゃ。

全国各地を歩き、
足を悪くして杖をついてもなお歩き続け、この土地に入ったとたんにわしの体に災いが降りかかった。体が砂になったように粉々になってしまう心持ちになってしまったんじゃ。

それは、病であった。しかし、ふもとの村人に救われて、
毎日この山の水を飲んでいるうちに、力が漲ってきての、病も治ってしまった。

わしは、山に感謝せずにはおれず、
原生の森を分け入った。すると、声が聴こえた。』

『なんとおっしゃっていたのでしょう。』

『名に恥ずべき行をせよ。シギョウとは、四行なり。四楽なり。


自らの縁とは遠い者達を安んじせしめよ。
タイチタイクウタイニチタイカイにて行を積み、四行を日々与えよ。腹をくちくさせ、白き衣をわたらせ、縁を紡ぎ合わせ、雨露しのぐ屋根の下に住まわせ、四楽を与えよ。・・・だ。』

『タイチタイクウって。。』

『さっきはタイクウまでしか言わんかったが、大地大空大日大海、
つまりわしらの周りにある全てじゃのう。川や池などは大地の中にあるから、毎日行う流水行は大地の行の中に入る。

ここで、
皆で同じように修行をするのは、この神さまの声から始まったんじゃ。それと、四楽とは、その行の中での楽しい営みを与えよということじゃ。苦しいだけではだめだ、ということじゃろうな。』

サチは、頭の中に難しい言葉でいっぱいになってしまい、
黙りこくってしまいました。罪人をここで楽しく暮らせるようにするよりも、迷惑をかけられた人こそ幸せにならないといけないのではないだろうか。

縁が遠い者は、罪を犯した人間もそうだけど、
辛い涙を流したほうにこそ、救いの手を差し伸べねばならぬのではないかと、まとまらない頭で必死に考えました。

その思いを察した四行は厳かに言いました。

『サチ。お前の心は正しい。正しいが、間違っておる。

人間は、
表裏一体。笑うものが居て泣くものが居る。泣くものに必要なのは施しではなく、家族の笑みである。笑うものに必要なのは、誰かの涙。よく考えるとおかしな浮世であろう。しかし、どちらも要る。

わしが目指しているところは、どちらも笑う世じゃ。涙は神様にうれし泣きで流してもらうんじゃ。みなが幸せになればいい。

わしは、犯した罪を赦すことはない。
しかし、その人の内面には、『人の真』が埋もれているものなんじゃ。

わしは、
その埋もれているものを掘り出して、償わせ、さらに幸せを感じてもらい、迷惑をかけた人々に奪った幸せを返させていきたい。』

『・・・・・・。』

『やはり難しかったかのう。まあ、いずれわかってくれても、
わかってもらえなくてもよいことである。わしの信念を押し付けるつもりはない。

しかし、サチ。
お前には杖を作り終わったら、やって欲しいことがある。しかし、今ではないのでその時になったら話そう。

それとな、
お前が女であることは、随分前から皆知っておるぞ。お前に気を使って誰もそのことは口にしないがな。かっかっか。』

サチは、雷に撃たれたことはないが、
まるで体中に電気が走ったような感動と、えも言われぬありがたさが、体中を駆け巡りました。

自分に何かできることがある。
自分が誰かの役に立つことができる。自分はここにいていい。女として、居ていいのだ。

今まで溜まっていた涙が一気にあふれ出てきて、
四行の袖を握り締めて、おいおいと泣きました。

皆のことを、
罪人として見てしまったこと、つまり『人』として見ていなかったことへの後悔と懺悔の涙と、これからの生きる希望の光が見えたことによる、うれし涙が混ざり合って、なんともいえない不思議な浄い涙が滴り落ち続けました。


(つづく)


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