選択。 | パチンコ店長の右脳。

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~3番店店長、総コンサルタント化計画~

人生は選択の連続と言われる。


今困っている人も、そうでない人もすべては選択の連続の中で生きている。


今日何を食べるかも選択。


どこに行くかも選択。


何をするかも選択。


誰と会うかも選択。


その時、その時にどのような選択を行い、それをどう重ねて生きるかで人の人生は決まる。


今回の震災の場合もそうだ。


ホール、組合の対応の遅さ、ファンから反感を買うような営業方法、義援金箱の有無など、


今、こうなって指摘されているが、それは今始まったことではなく、


ずっと前からの「選択の基準」から来ているものだ。


急に変えられないのだ。当事者にとっては「当たり前のこと」をしているだけだ。


現在のパチンコバッシングは「過去の選択の結果」でしかない。


この問題はすべての業界人に責任がある。


「私はちゃんとやってきた」は通らない。


すべての業界人は、「業界の選択」に従ってきたのだ。


話が逸れた。ここではそんなことはどうでも良い。


人は何を基準に選択を決めるのか。


自分のため?他人のため?社会のため?


自分のためでも他人のためでも社会のためでも良いと思う。


問題はそれが「自分は何のために生まれてきたのか」に結びついているかどうかだ。


・・・


「自分のため」だと言う人にも2つの種類がある。


「自分の志を守るため」。


「自分を守るため」。


前者は自分が置かれた環境に依存せず、後者は自分が置かれた環境に依存する。


前者は長期的ビジョンであり、後者は短期的ビジョンだ。


前者は「他人のため、社会のため」になるが、後者は生きる屍だ。


・・・


間もなく通信が復旧するに従い、被災者の方々の声が多く聞かれるようになるだろう。


彼らが発する言葉の中心は「志」であるはずだ。


被災者でない私たちは彼らに多くを教えられるはずだ。


それまでに私たちは「その言葉を聞く資格」を得なければならない。


東北のあるホール社長と連絡が取れた。


「この地域は何も無くなってしまいました。全部流されました。


だから私にはやらなければならないことが山ほどあります。」


私たちは選択の基準を考え直す時期に来ているのではないか。


もう一度考えたい。


「何のために今生きていて、そのために今何をすべきか。」


未だ行方が分からない東北の友人とそんな話がしたい。