浜で育ったんですよ。親父は漁師でね、自分の持ち船だったからけっこう

裕福なほう。一つ下の弟がいて、遊び場は冬の厳しいさ中をのぞけばいつも

浜でした。親父も、浜で遊んでる分にはあんまりうるさいことは言いませんでした。
アワビやサザエも取り放題だったし、海水浴シーズンは、海の家に顔出せば、
ラムネやかき氷をおばちゃんがタダでくれたもんです。
これはもしかしたら、親父が後でまとめて金払ってたのかもしれませんが。
とにかく弟といっしょに浜で育ったようなもんなんです。それでも

小学生の自分は、浜から40mくらい離れた小岩の外に出て泳ぐなとは

言われてたんです。いや、浜は岩浜だったから、

10mも出るともう足は立たないんですけど。その小岩を過ぎちゃうと、
足つったりしても戻ってこれないかもしれないからだろうと思ってました。


でも、俺が中学に入った年に、小舟・・・エンジンのない手漕ぎのボートですが、
それを親父からもらいまして、その小岩より沖に出てもいいって言われたんです。
小島はまだまだ点々とあってね、ずっと沖まで連なってました。
で、そのとき同時に「海の中で、死んだ大きな魚を見たら必ず知らせろ」って、
弟ともども言われたんです。よく意味がわかりませんでしたね。
次の年、俺が中2のときの8月です。
お盆の禁漁も終わって、あと少しでクラゲが出始めるって頃でした。
弟とアワビを捕りに、沖の小島の一つまでボートを出したんです。
このアワビは大きさによって、旅館や乾物屋に売るんです。
まあ小遣い稼ぎですよ。で、潮の流れだけ注意して、潜って捕ってたんです。
そしたら弟が上がってきて、「兄ちゃんでかい魚がいるよ。死んだ魚」


こう言ったんです。水中メガネを頭から引き下ろして潜ってみました。
岩が海の中で入り組んでるんです。重なり合って、せまいところや

広いところがあり、潮の流れを作ってるんです。当時でも

5mは潜れたと思います。弟が先になり、その背中に触りながら潜っていくと、
7~8mの深さに平らになった岩があり、その上に大きな魚が横たわってました。
俺らのボートより大きいんで、3mくらいあったと思います。
それが真横になって、その岩の上にあったんです。
一目で死んでいるってわかりました。ただ、腐臭などはなかったです。
子どもの手のひらくらいの目が、白く膜がかかって瞳が見えなかったんです。
それにぴくりとも動かない。背中にずっと青黒い藻のようなのが生えて、

それが静かに波でゆらめいてるだけでした。


魚の形は、横幅もあって鯛に少し似てたと思います。
それと、腹のところが、すごいでこぼこしてたんです。上手く説明できない

んですが、人間の膝小僧ほどや、それよりも小さいイボが、

いくつも重なってるような。やがて息が続かなくなり、弟といっしょに

浮上して舟に上がりました。弟が「あれ、もしかして父ちゃんの言ってた

死んだ魚ってやつかな」と聞いてきたんで、
「たぶんな」と答えました。そのままアワビ捕りはやめて、家に帰ったんです。
親父はその日漁に出てなかったんで、すぐに見たもののことを話したんです。
そしたら、そんなに驚いた様子もなく、「とうとう見たかお前ら、・・・

今晩ちょっと怖いことがあるぞ」と言って少し笑いました。

その晩、8時過ぎに漁協の組合長さんが家にやってきました。俺と弟は

 

海パンをはくように言われて、組合長さんと親父の後についていったんです。
車を使わなかったんで、そんなに遠くにいくんではないとわかりました。
防波ブロックの上をずっと歩いていくと、岸壁に近づいて洞が岬が見えてきました。
ここは岩が波で削られて、高さが20m以上もアーチ状になってるところです。
その高いところに、御幣のついたしめ縄が下がってて、普段は

入っちゃいけないことになってました。俺も弟もそのとき初めて入ったんです。
洞窟の中に入って月明かりがなくなると、組合長さんも親父も松明をつけました。
洞はかなりの深さがあって、立って歩ける岩の幅は1mくらい、
あとは海水が入り込んできて、磯の臭いがきつかったです。
30mくらいでしょうか、突き当たりの岩に神棚のようなのが彫られてました。
組合長さんが最初からあったロウソクに火をつけ、


棚にあがってた御神酒どっくりを手にとりました。
そして、中の酒を足下の水の中に注ぎ込み、パンパンと柏手を打ったんです。
暗い洞窟の中によく音が響いたのを覚えています。松明の明かりで、

目の前すぐの水の中にあの魚が横たわっているのが見えました。
さっきまで間違いなくいなかったのに・・・泳いできたわけでもないんです。
目の前に忽然と現れたとしか思えませんでした。
近くで見る魚は沖で見たときより大きく、3m以上は間違いなくありました。
真っ白に濁った目はそのままでしたが。
親父が俺に小刀を手渡してよこしました。そして、
「あの腹の段々になってるところを一切れ切って食え」と言いました。
強い調子に押されるように水に入りました。


深さは胸のあたりまでしかなかったです。さすがに気味が悪かったものの、
近づいてイボのような出っぱりの一つに小刀を入れました。それは柔らかく、

一気に切れて手の中に塊が残りました。その部分には鱗もなかったです。
親父と組合長さんが声をそろえて「食え、飲み込め」と言ったので、
目をつむって口に入れました。味は・・・記憶に残ってません。
脂の感触があったのは覚えてます。「○○(弟)に小刀を渡せ」

親父が言いました。弟はかなりおびえた様子でしたが、
俺がやったのを見て何事も起きないとわかったんでしょう。
やはり水に入って、魚の腹のイボを一つ切り取り、
思い切ってほおばりました。大きな塊だったので2口かかりました。
弟は吐きそうな顔でしたが、なんとか我慢したようでした。


「それでいい」組合長さんが言いましたが、
この間、魚はぴくりとも動かず死んだままだったんです。
皆で家に戻り、親父と組合長さんは酒を飲み始めました。俺が「あれって

何だったの」と聞いたら、親父が「今にわかる」とだけ答えました。
つけ加えるように「これからは、あの魚見ても知らせなくていいぞ」
その後、俺と弟は、軽く茶漬けを食べてすぐ寝たんですよ。
3日くらいして、もう海水浴場を閉めるというときに、水難事故がありました。
近くの市から家族で来ていた男の子が溺れたんです。
俺はまだ休み中だったんで、引き上げられる現場を見ていました。
知っている漁師に抱えられて上がってきたのは、小学校低学年の男の子でした。
濡れた髪が青ざめた額に張りついていました。救急車が待っていて、

 

すぐに病院に運ばれましたが、亡くなったということでしたね。
ここから話すことはあまりないです。
あの魚には2回再会しました。1回は高校3年のときです。
その当時は部活をしていたので、たいして浜にも出なかったんですが、
夏休み中の暑い日に遠泳をしたとき、底のほうにあの魚がいるのが見えたんです。
前のときとまったく同じで、死んでいるとしか見えませんでした。
ただ・・・腹のイボの中にひときわ大きいのがあって、よく目をこらして見ると、
それは目を固く閉じた子どもの顔でした。
前にちらっと見た、浜で溺れて死んだ子に似ているような気もしました。
もう1回は、就職して数年後の盆休みに帰ってきたときです。
そのときには大学に行っていた弟もいました。2人でボートを漕いで

 

懐かしがってたんです。最初に、中学生のときに見たのと同じあたり

だったと思います。ボートの上からだったので、

影のようにしか見えませんでしたが、あの魚だったと思います。
弟のほうを向くと、弟も俺に向かってうなずきました。
腹のあたりにあの顔があるかと探したんですが、
波があって箱メガネでもないと見えない状態だったんです。
それから3年後に、親父が漁船の事故で亡くなりました。だからあの魚が

どういうものなのかは、結局教えてはもらえませんでした。組合長さんや、

他の漁師に聞くこともできたんでしょうが、何故かそれもしなかったんです。
俺も弟も漁師にはならず、親父の船も売ってしまいました。もしかして漁師に

なっていたら、わかることもあったのかもしれませんが・・・これで終わります。