2週間ばかり前の土曜の午後、家でぼーっとしてたんです。
いたのは僕と弟で、居間でテレビを見てました。
自分らの部屋はあるんだけど、エアコンがついてないんで、
居間で涼んでることが最近多いんです。両親は町会の会合に出て不在でした。
玄関がガラッと開いた音がして、「おーい、いるかー」と声がしました。
・・・田舎なんで鍵とか掛けないんです。
僕は「ああ、信也おじさんの声だ」と思って玄関に走りました。
信也おじさんというのは父の弟で、
アウトドアライターという珍しい職業をしてるんです。
おもしろい人だし、スポンサーからもらったキャンプ道具とか、
釣りの獲物、珍しい昆虫なんかを持ってきてくれるんで、


いつも来るのが楽しみだったんです。出てみたら案の定、
おじさんは暑いのに長袖にポケットのいっぱいついたベストを着てて、
どっかに取材に行ってきた帰りみたいでした。
おじさんは玄関で僕の顔を見るなり、
「おいバケツか洗面器あるか、早くもってこい!」と言いました。
僕があわててバケツを持っくると、
「便所掃除用じゃないだろな」おじさんはそう言って、
クーラーボックスから20cmくらいのカニをその中に入れました。
「岸壁にカニ籠しかけてとったんだよ。味噌汁がおすすめだな。
ところで父さん母さんはいないのか、健二はどした?」と聞いてきたんで、
「父さん母さんは、町内会の会合に出てます。あ、健二はいますから、


おーい」と、弟を呼んだんですが出てきません。
弟はおじさんが大好きで、こんなときは真っ先に来るのに変だなと
思ってたら、「いい、いい、もう戻るから。着替えてからまた出直すよ。
ああ、それからこのカニ、逃げるからなんかでバケツ、フタしとけ。
あと早く食べないと共食い始めるからな」
こう言い残してあわたように帰っていったんです。バケツに、
とりあえず重ねた新聞紙でフタをして、まわりをテープで止めました。
それを台所に置いてから居間に戻ると、
弟が真っ白い顔をして体育座りしてたんです。
「今、おじさん来たのに何で出てこなかったんだよ」僕がそう言うと、
「・・・ホントにおじさんさった?」と聞き返してきました。


「玄関から声聞こえただろ」
「兄ちゃんしゃべってる声しか聞こえなかった」
「そんなわけないだろ。おじさんのほうが声がでかいのに。
カニもらったんだ、見るか?」こう誘っても、
黙って首をふるだけで、なんか様子がおかしかったんです。
そのうちに両親が帰ってきましたんで、
おじさんが来てカニを置いてった話をすると、父が、「信也がか?あれ、
やつは今、東南アジアに出かけてるはずなんだけどな」
おじさんの携帯に連絡しましたが、通じないようでした。
それから、父と一緒にカニを見にいきました。
ところがです。バケツにテープでフタをした新聞は


そのままだったのに、中が空だったんです。
僕が入れた水道の水は入ってて、汚れてもいませんでした。
数匹いたカニは跡形もなく消えてしまっていました。
「・・・えー、逃げたのかな」
「うーん、あれだけテープでとめてすき間もなかったし、
こんなにきれいに逃げるのは・・・」父は少し変な顔をしたんです。
いっしょに冷蔵庫の陰なんかをさがしてみましたが、
カニの姿は見えませんでした。
夕食後に部屋に戻ると、弟が「ねえ、兄ちゃん。妖怪とか信じる?」
と聞いてきました。「いきなり何言い出すんだよ」
「昼に来た信也おじさん・・・あれ妖怪みたいなもの


だったんじゃないかな」 「・・・」
「兄ちゃんの声しか聞こえなかったって言ったろ。
だけどホントは別の声が聞こえたんだよ。外国語で・・・すごく怖い声」
「何言ってんだよ、ゲームのやりすぎじゃないか」
「ホラーのゲームなんて持ってないよ。それにカニいなかったんでしょ」
「それは・・・」こんなかんじのやりとりをしたんです。
次の日曜日の朝、何の予定もなかったんで一家して遅くまで寝てる
はずだったんですが、7時過ぎころ父が部屋に来て、
僕と弟を起こしたんです。「おい、カニ逃げたの本当だったかも
しれないな。今朝方、天井でガサガサ音がしてた。
床下から何か聞こえなかったか?」


僕は首を振りましたが、半分寝ぼけた感じの弟は、
父の言葉を聞いてすごくおびえた顔をしました。朝飯を食べてから、
父が和室の押入れの上を開けて懐中電灯で天井裏を見ていました。
でも、何も見つからなかったんです。
その夜です。僕も弟も宿題を貯めていたので、珍しく2人とも机に
向かっていました。弟は真面目にやってましたが、
僕は飽きてきて本棚のマンガに手をのばそうとしました。
すると、その後ろから黒い影が走り出て、もう一つの大きい本棚の
後ろに入っていきました。このときは黒い小さい影にしか
見えなかったんです。電気はつけてるし、スタンド2つもついてたのに、
何だかわからない黒いものが、すごい速さで走ったんです。


「あ、カニ」僕は叫んで、本棚をずらそうとしました。
気がついた弟が「兄ちゃん、怖いからやめてよ」と言いました。
「何が怖いんだよ」一人で本棚を斜めにずらしたんですが、
ただ綿ぼこりがたまっているだけでした。
11時頃に寝て、夢を見ました。体が動かない夢です。
あたりはぼんやりと見えるだけで、一面の緑でした。
ジャングルのようなところにいるのだと思いました。
両方の手首の骨がゴリゴリとこすれる感覚がありました。
両手を板の上に縄で縛りつけられているのが見下ろせました。
かなりの距離感があって、自分の手とは思えないのに
痛みがあるんです。目の前に四角いものがつきつけられました。


最初は何だかわかりませんでしたが、平たい大きな刃物のようでした。
不思議なことに、縛られている自分が遠くから見えたり、
そのまま縛られている感じになったりを、何回もくり返していたんです。
刃物はふらふらと目の前を上下した後、
思いっきり縛られた手の上に振り下ろされました。
ダーンという音がして目が覚めたんですが、
そのとき2段ベッドの上で弟の悲鳴が聞こえました。
何かと思って飛び起きたら、弟が上から顔を出しました。
暗くてよくわかりませんでしたが、泣いているように見えました。
電気をつけると、弟が涙で顔をびしょびしょにして、
「信也おじさんを殺しちゃった」と言いました。

話を聞くと、夢の中で台所にカニがいて、
それを包丁で叩こうとしていたんだそうです。あちこち
逃げまわるカニをなんとかつかまえて包丁で甲羅を叩いた。
するとカニが消えて、目の前に血だらけの信也おじさんが横たわっていた・・・
「夢だから怖がるな」と言いました。弟と同時に変な夢を見ていたのかと
思うと、僕も怖くなりましたが、弟に自分の夢の話はしませんでした。
親を呼ぶことはなく、なんとか寝かしつけました。
翌日、学校にいると担任の先生から、
「お父さんが迎えにくるから弟さんと帰るように」と言われました。
昇降口にいくと弟が待っていて、すぐに父の車が来ました。
乗り込むなり「信也おじさんがラオスで亡くなったという連絡が入ったんだ」


と父は言い、続けて「これから現地にいかなくちゃならならないみたいだ」
家に戻ると親戚の人が数人集まっていました。
耳に入ってきた話では、信也おじさんは現地の人に殺されたようでした。
その後、テレビでも事件のことが詳しく報道され、独身だったおじさんの
遺体を引き取りに、父と田舎の祖父がラオスに向かいました。
信也おじさんは、両手首を切り落とされ、

最後に背中から心臓を刺されたんだ
そうです。僕が家でおじさんにカニをもらったと思った土曜日には、
もう殺されていた後だったということもわかりました。
カニは・・・その後、音を聞いても見かけてもいません。
これで僕の話は終わりです。