これ、俺が高2のときの話なんです。なんか夢みたいな内容で、
ここで話をしてもいいかどうかよくわからないんですが。
それに、怖いというような内容でもないし。それでよければ。
そんとき、俺、バスケ部に入ってまして。レギュラーをとれるか
どうか必死だったんですよ。このとおり、そんな身長のあるほう
じゃないし。それで、自主練っていうか、毎朝走ってたんです。
5時くらいから1時間ほど。当時はね、今みたいにウオーキング
なんかもまだ流行ってなくて、ときおり車は通るけど、
歩行者はほとんど見かけなかったです。で、あれは秋口、
9月の終わりのことですね。だいたい10kmくらい走って、
そろそろ家に戻ろうかっていうとき、ちょっとした橋にかかる場所で

ふらふら歩いてるおばあさんを見かけたんですよ。
寝間着だと思うんだけど、着物1枚着ただけで足は裸足だったんです。
ゆっくり左右に揺れながらよろよろ歩いてる。そこの橋ね、
欄干が低くて、下に落ちるんじゃないかって感じで。
まあ、落ちても死ぬようなとこでもなかったけど。
それで、ああこれ、ばあさんボケてるんだな、って思ったんです。
当時はまだ、認知症って言葉も広まってなかったですね。
それと、そのばあさん、見覚えがあったんです。
俺の家の近所、並びの3軒くらい離れた家のばあさんじゃないかって。
よく、家の前の道路を掃除したりしてたんですよ。
俺が小学生のとき、朝の通学なんかで声をかけてもらったりして。

それが、その後 姿を見なくなって、ボケてずっと家にこもってる
みたいな話は母親から聞いてました。ご主人はだいぶ前に
亡くなってて、長男一家といっしょに暮らしてたはずです。
それで、危ないなと思って、帰るがてらそこの家に連れていこうと思い、
ばあさんに追いついたんです。着物の背中をつかんで、
「おばあちゃん、どこ行くんですか」そう言ったら、ばあさんは
トロンとした目でこっちを見て、「いやあ、どなたさんでしたか」
と聞いてきたんで、「あ、近所のものです」そう答えました。
ばあさんは「いやね、〇〇の村に帰ろうと思って」その〇〇は
聞いたことのない地名でした。「寒いですから。足もなんにも
履いてないし、家に戻りましょうよ」

「でも、〇〇の村はすぐそこだよ。もう村境まで来てる」
ばあさんがそう言って前を指差したときです。なんか足もとが
ぐっと沈む感じがしたんです。「え!?」それと同時に、すごい
まぶしい光が見えて、目を開けてられなかったんです。
ばあさんをつかんでた手を離して、ごろんという感じで
後ろに倒れたと思います。でね、どのくらい時間がたったか。
目を開けると、真っ青な空が見えたんです。
ぬけるような高い高い空が。まだ薄暗い街を走ってたはずなのに。
同時に、セミの声が聞こえてきました。わけがわからなかったです。
石ころだらけの地面に手をついて立ち上がろうとしたとき、
「兄ちゃん、だいじょうぶか」という声が聞こえてきました。

「え!?」見ると、粗末な着物を着た、8歳くらいかなあ。
女の子がいたんですよ。おかっぱで、帯だけが赤かったのを
覚えてます。「え!? ここ、どこですか」そう聞いたら、
「〇〇の村だよ」って。立ち上がってあたりを見回すと、
絵に描いたような田舎の風景だったんです。「そんなバカな、
ここは・・・」 「だから〇〇の村だって。おらの家に来るか」
女の子がそう言い、俺の手をつかんだので、いっしょに歩き出しました。
暑かったです。カンカン照りで、夏なんだと思いました。
それと、気がついたのが、一面に田んぼが広がってるんだけど、
どこにも電信柱や電線がないことです。それって変ですよね。
道も、舗装道路なんてなくて、踏み固められた土で。

「スイカ冷えてるで、おらの家で食べよう」女の子がまた言い、
俺、「ありがとう。君ね、名前なんていうの」そう聞きました。
そしたら「おら、ヨシっていうだ」って。そっからしばらく歩きました。
ときおり、田んぼの中で作業してる人を見かけましたが、
機械なんかは使ってなくて、みんな野良着なんです。
そのときには、これもしかして、俺、昔の世界に入り込んだのか、
そういうことがわかってきたんです。でも、ありえないとも思いました。
どうすることもできず、女の子と手をつないで歩いていくと、
小川を澄んだ水が流れていて、そこに木の橋がかかってたんです。
「おらの家は川向うだ。ほら、あそこ」女の子が指差し、
藁葺の屋根の農家が見えたんです。長い縁側の前の庭に

鶏が走ってました。それで、その橋に一歩入ったとき、またぐらっと
沈むような感じがしました。目を開けていられないまぶしい光。
それが消えてから目を開けると、薄暗い街に戻ってたんです。
でね、俺の手は、ばあさんの着物をつかんでたんですよ。
何がどうなったのかまったくわからなかったんですが、とにかく、
「家に帰りましょうね」そう言って、ばあさんの手を引いて、
そこの家まで連れていったんです。インターホンを押すと、
ややあって息子さんの奥さんらしい人が出てきて、
「まあ、おばあちゃん」と驚き、俺が事情を話すとすごく
感謝されたんです。やっぱり、ばあさんボケがかかってて、
一人で布団を抜け出して玄関を開け、外へ出たみたいなんですね。

これでだいたいの話は終わりです。そのばあさん、やっぱりヨシさんって
言ったんですが、半年くらい後に施設に入り、それからまた
半年くらいして亡くなりました。葬式には出なかったですけど、
近所ですから、両親といっしょにご焼香に家には行ったんです。
そのときに、ヨシさんの出身は〇〇村というところだったことも
聞きました。さすがに、ヨシさんの子どもの頃の写真などは
なかったですけど。あの体験はなんだったんですかねえ。ヨシさんが
見ていた幻覚の中に俺も入り込んでしまった・・・そうなのかも
しれませんが、あの世界って実際にあるんじゃないかって思うんです。
うまく言えないけど、時間っていうのは現在だけじゃなく、
ずっとつながった状態で存在してるんじゃないかってね。

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