郷土史家 武村さんの話
ああ、あそこの山な、昔は名前なんかなかったが、今は「いらず山」って
あのあたりの住民には呼ばれてる。もちろん正式な名称じゃない。
まあ、高さも100mあるかないくらいだし、どこにでもある里山なんだが、
誰も入ったりしないんだ。だから、入らずの山っていわれるようになって、
それが縮まっていらず山。でな、俺は1回だけ登ったことがあるんだが、
中腹のあたりに細い道があって、地蔵様が何体か祀られてる。古いもんだよ。
おそらく戦国時代、その頃、この町にも領主がいたんだが、弱小で、とても

戦国の戦いに加われるような状況じゃなかった。この人は信心深かったみたいで、

その山に六地蔵の札所をつくったんだよ。ほら、地蔵様の一体一体が、
それぞれ、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道を表すってやつ。
でもな、俺が見たときには6体のうち残ってるのは2体だけで、

あとはみな崩れちまってた。残ってるやつもボロボロで、かろうじて顔の表情が
わかるくらいだったよ。うーん、あれからだいぶたってるからなあ。
今、あるかどうかはわからねえよ。嫌な雰囲気の場所だったな。雑木林なんだが、
ジメジメしててヒルが多かった。あとキノコがたくさんあったが、
誰もとりに入った様子はなかったな。もったいないと思うが、地元でも
嫌われてるっていうか、怖れられてる場所なんだろう。ああ、その地蔵様を
こさえた領主な。隣の藩の領主が起こした戦争に巻き込まれて、
館に火をかけられて一族ともども滅んだって記録が残ってる。
まあそんなとこだから、bigbossmanさん、あんたも行かないほうがいいよ。
胡桃とか木の実が豊富な山なのに、まったく獣の気配がないんだ。
鳥が啼いてるのも聞こえないし、あそこはよくないとこだよ。

無職 寺里さんから聞いた話
これは私のばあさまから聞いた話ですから、遠い遠い昔のことですよ。
おそらくまだ明治の御一新前のことだと思います。私の家は
代々の自作農でして、その頃の村の中ではままあの家柄でした。
今はそんなこと、自慢にもなりませんが。それで、私がばあさまから
聞いた話では、当時ね、その自作農の家で長男に嫁をもらいまして、たいそう
美しい人だったという話です。で、長男は喜んだものの、1年経っても
2年経っても子どもができない。当時の嫁は跡継ぎを生むためのような
存在だったので、お姑さんとの仲が険悪になりまして。ええ、ええ、
当時はね、嫁は絶対にお姑さんに口ごたえなんかしちゃいけないし、言うことは
なんでも聞かなくちゃならなかったもんです。私もそうでしたが、
昔はもっと厳しかっただろうと思いますね。でね、その家の裏山に泉からわいて

流れてる小川がありまして、その嫁は上流で飲み水をくみ、下流のほうで洗濯を
しておったそうですが、いつもお姑さんに辛いことをされると、その山に入って
泣いておったということです。でね、嫁いでから3年目のことです。やはり山に
入ってると、何やら自分の跡をつけてくるものがある。それ、その家の三男だった
んですね。山の中で押し倒され、関係ができてしまいました。もちろん三男は

そのことを嫁に口止めしまして、関係はその後も続いたんです。ですが、

3ヶ月くらいたって、ふとしたきっかけでそのことがばれてしまい

大騒ぎになり、嫁は離縁だということになり、三男はさんざん折檻されて

家を追い出されましてな。で、その日のうち、2人の姿が見えなくなり、

一家総出、使用人も入れてさがしたところ、裏山の六地蔵さんの前で、

2人とも血まみれでこと切れていたんだそうです。心中したんですな。どちらも

首の血の筋を鎌で切り、その血はお地蔵様にもかかって赤くなっていたそうです。

土建業社長 渡瀬さんの話
これな、戦後すぐの話なんだ。昭和の23年か24年の頃。当時はまだまだ
闇市が盛んでな。ヒロポンっていう覚醒剤も合法だったんだよ。戦争帰りの
愚連隊がどこの街にもいて、治安は最悪だったな。でな、その愚連隊の親分が
今でいうキャバレーみたいなのを始めたんだ。バラックだったが、女がいて、
進駐軍から手に入れた洋酒を飲ませる店だよ。で、ここに出てる女はみなバックに
ついてる愚連隊と関係がついてたんだ。ここで雇われたのが、航空隊帰りの
若い男で、店の雑用をやってたんだが、女の一人とできちまって、2人して逃げた。
そこまではよくある話なんだが、悪いことに男のほうが逃げるときに愚連隊が
さばいてた覚醒剤をごっそり持ち出した。当時の金で数万円、今だったら
何千万って金になるブツだよ。こりゃ愚連隊にしちゃ大ごとだ。それでほうぼうを
探したんだが、この街から出た様子はねえ。山に隠れてるんじゃないかって、

 

まず探したのが、今じゃいらず山って呼ばれてるあすこの山だよ。そしたら案の定、

あの山の中で見つかったんだが、そのときには2人とも死んでたんだ。女のほうは、

山に入ってすぐ覚醒剤を打ったらしくて、それもかなりの量。その中毒で死んで

たんだ。いや、事故なのか男が殺したのかはわからんかった。体に傷はなかったな。で、男のほうは女の死体が見つかった場所からかなり離れたところ。六地蔵さんって

いう古い時代の地蔵様の像の前でピストル自殺してたんだ。これも進駐軍から

手に入れたものだった。でな、2人が死んだのはしかたないんだが、覚醒剤の

残りが見つからない。女が使ったとしてもかなりの量が残ってるはず。

それで愚連隊のほうでは組全員で山に入って探したんだが、とうとう

出てこなかったんだ。まあ、山だからな。ちょっと土掘って枯れ葉でも

かぶせときゃ見つけることはできねえから。まあ、こういう話なんだ。

造園業を引退した笹崎さんの話
あの山には入ったことがありますよ。私が入ったのは40代の頃、今から20年前
くらいのことだけど、嫌なとこだったなあ。とにかく頭が痛くなるんですよ。
私が入ったのは秋で、当時の親方と一緒でした。中腹から麓まで小川が流れて
まして、水は冷たくてきれいだったけど、紅葉した木の葉がたくさん流れてて、
それがまるで血の川みたいに見えたもんです。あそこの山、おそらく町の誰かの
持ち山なんだろうけど、まったく手入れはされておらず荒れ放題でしたね。
いい庭木になりそうな株がたくさんあったんだけど、俺がそう言うと、
親方は「この山の木や岩は持ち出しちゃいけないんだ」って。「どうしてですか」
「お前、わからんのか。この山のものを庭木になんかしちゃ、その家が不幸に
なるだけだ。それにかかわった俺らだって危ない」 「危ないって何が?」

こんな話をしながらさらに登って、そしたら林が急に開けて草地になった場所に
出たんだ。でな、その中央にお地蔵様が何体か立ってた。高さは1m50cm
くらいかなあ。でな、驚いたのが、その前にたくさん、山の獣の死体があったって
ことだよ。イタチとかの小動物から、かなり大きいイノシシまで。まるで誰かが
地蔵様にお供えしたみたいに積み上がっていたんだよ。けど、そんなことをする
意味はねえわな。死体の中には死んだばかりのものも、腐ってどろどろになった

ものも、すでに骨になってるものもあった。ひどい臭いで、俺は木陰で

もどしちまったんだ。あとな、そこにあった地蔵様、どれもボロボロで苔むしてて、

さらにその上にキノコまで生えてて、すごい気味の悪い姿だったんだよ。

俺はますます頭が痛くなって、親方も「これはいかんな。いてはならん場所だ」

そう言って、2人ともほうほうの体で逃げ出したんだよ。

で、山を降りてもしばらくは体の調子は悪かったんだ。

占い業 bigbossmanさんの話
ここまで話が集まったところで、このいらず山に入ったんです。もちろん怖いので
一人でじゃありません。いつも自分の話に登場する、実業家兼霊能者のKさんと
いっしょです。この山のある町までは列車で行ったんですが、道中で上記したような
話をKさんに聞いていただきました。山の登り口まではレンタカーで行き、
それから注連縄がかかった登り口をまたいだんですが、Kさんんが「この注連縄、
誰がかけたんだろうな? 地元の人にしちゃ嫌に本格的だ」 「さあ、

わかりません。もしかしたら前に話を聞いた後に誰かが整備したのかも」

「それにしてもお前、よくこんな場所を見つけたな。ここはすごいよ。悪い気が

渦巻いてる」 「ああ、やっぱり」で、2人で小川沿いについた道を登って

ったんですが、50mくらい登ったところで細い木でできた赤い鳥居が

あったんです。「え、鳥居?誰が立てたんだろう」 

「これ、ふつうの神社のものじゃないな」こんなことを言い合いながら

 

進んでいったんですが、2分くらいで簡素な神社らしき建物に出たんです。平屋で、

屋根も凝ったつくりではなく、民家みたいでした。ただ、賽銭箱と鈴があるので、

かろうじて神社だとわかったんです。表の扉は閉まっていて、そこから呼びかけても

出てくるものはありませんでした。Kさんは、「ふうむ、これは新興宗教の神社だな。

まだ新しい。建てられて5年かそこらだろう」 「ふだんは誰もいない

みたいですね。・・・あ、ここから何か見えます」神社の扉の一部は木の格子に

なっていて、そこから薄暗い中が覗けたんです。「あれ・・・お地蔵様じゃ

ないですか」 「うん、そう見える。しかし変だな。お地蔵様は仏教のものだし、

ここは神社だし」 「そうですね。他に何かわかりますか」 「この地蔵様は

たぶん六地蔵だと思うけど、2つしか残ってないな。並びから、おそらく修羅道と

畜生道を表す地蔵様だろう。なあbigbossman、ここはマズいよ。もう戻ろう」

ということで、2人して逃げるように山を降りたんです。