今回は古代史系のお話です。天岩戸神話については、
みなさんご存知と思いますが、まずは概略を説明します。
『古事記』『日本書紀』で、神話によっては内容が異なる部分もありますが、
天岩戸の話は、どちらも大筋で大きな差はありません。

天照大神の弟は素盞嗚命で、高天原で、田の畦を壊して溝を埋めたり、
御殿に糞をまき散らしたりして大暴れしますが、天照大神は、はじめは、
文句を言う他の神々から弟をかばっていました。ところが、
天照大神が衣を織る機屋にいるところに、
素戔嗚尊は皮をはいだ馬を投げ込みます。

これに驚いた天照大神は機織り機で自分を傷つけ、驚き怖れて天岩戸に入り、
戸を閉じてしまったので、国中が暗闇となり、
昼夜の区別もつかなくなってしまいました。これに困った神々は集まって相談し、
まず、知恵の神、思兼(オモイカネ)が、常世之長鳴鳥(とこよのながなきどり)
を集めて長く鳴かせました。これで朝になったと思って、
天照大神が出てくると考えたんでしょう。

さらに、天鈿女(アメノウズメ)が、神憑りして胸をさらけ出し、
裳の裾を陰部までおし下げて踊りました。
すると、八百万の神が一斉に笑いさざめいたんですね。
これを聞いた天照大神は、なぜ暗闇の中で神々は笑っているんだろうと
不思議に思い、少しだけ岩の戸を開けました。

アメノウズメ


そこを、大力の神、手力雄(タヂカラオ)が手をとって引っぱり出し、
天児屋(アメノコヤネ)が、岩戸に注連縄をかけて、戻れないように
封印しました。その後、またすったもんだがあるんですが、神々は
素盞嗚命の手足の爪と髭を切って力を弱らせ、高天原から追放します。

タヂカラオ


まあ、ざっとこんなお話です。この神話について、
さまざまな観点から見てきたいと思います。まず、世界の他の国に
類話があるかどうか。これは、北米のネイティブ・アメリカンや
イヌイットにもありますし、中国の少数民族にもあります。

中国の南西部にすむ、苗(ミャオ)族の間では、昔、空には10個の太陽があり、
人々が暑くてたまらないので、弓で9個を射落としたら、残った1個も、
怖がって山の陰に隠れて出てこなくなってしまい、何日も夜が続いた。
そこで人々が鶏を鳴かせてみたところ、太陽は東から顔をのぞかせ、
元に戻った。喜んだ人々は、鶏をほめたたえ、頭に赤い王冠を授けた・・・

こういう話があるんですね。で、これらの神話は、モンゴロイド系の民族の間で
語り継がれているケースが多く、しかも、これは天体現象である
日食を象徴的に表したもののようなんです。ただ、日食といっても部分食は
毎年のように見られますので、太陽の全体が隠されて、あたりが暗くなる、
皆既日食をさしているものだと考えられます。

 



古代のギリシャ・ローマ、またその影響を受けたオリエント世界、
あと古代中国でも、天文学が発達していて、日食は天体現象であることが
知られていましたが、日本や、その他のモンゴロイド社会では、
日食が神秘的な現象としてみられていたのは、十分考えられる話だと思います。

さて、当ブログでは、邪馬台国関連の話も書いていますが、
この天岩戸神話を、邪馬台国問題と結びつける説があります。
邪馬台国は始め九州にあり、それが東の大和に移っていったという説を、
邪馬台国東遷説と言いますが、それらの人によって主張されることが多いんです。



まず、天照大神が邪馬台国の女王、卑弥呼になります。そして卑弥呼の死が、
天照大神が岩戸に隠れたこと。この後、邪馬台国では男王が立ったものの、
国中が承服せず戦乱が起こり、13歳の、卑弥呼の同族の娘、
台与を新王とすることで争いが収まったと『三国志』には出てきます。

つまり、台与は、岩戸から出て再生した太陽を現しているというわけです。
で、この間に邪馬台国は九州から大和へ東遷した。さらに、
この話はヤマト王権に代々伝えられ、天照大神は伊勢神宮の内宮に
祭られていますが、それに食事を給する役目をもって外宮に
祭られているのが、豊受大神(トヨウケノオオカミ)なんですね。

天照大神と豊受大神


卑弥呼と台与の記憶が、岩戸隠れの神話として後代に伝わり、
天照大神と豊受大神となって、現代でも信仰を集めている・・・
これが本当だとしたら歴史上の大ロマンですが・・・残念ながら、
証明する方法があるとは、自分には思えないんですよね。
現代の歴史学は、どんどん実証主義的になってきていますので、

これを定説とするには大きな困難があると考えられます。
つまり、考古学などの傍証があって、かなりの程度まで確からしいと
証明できないことについては史実としてはみない。
もちろん、主張するのはかまいませんが、定説としては認められない。

さてさて、では、卑弥呼と日食は関係あるんでしょうか。
卑弥呼が亡くなったのは、247年頃と考えられています。
このときに皆既日食はあったのか? 現在では、専用ソフトを使って、
古代の日食の日時や形態を算出することができるようになっています。

卑弥呼の死に近いところでは、247年3月24日、248年9月5日に
日食が起きています。ですが、正確な計算では、どちらも、
邪馬台国の候補地である九州本島や畿内の全域で、
部分日食にしかならないことがわかっているんです。ですから、これを
卑弥呼の死の原因や、天岩戸神話と結びつけるのは、
ちょっと難しいかもしれません。では、今回はこのへんで。

皆既日食