えーと、小学校2年のときです。
だから記憶があいまいで、夢だったかもしれないとずっと

思ってたんです。放課後で秋だったような記憶があります。
道にポプラの葉がたくさん落ちていたイメージ・・・
ポプラの木があったのは学校から大通りまでの車の入れない通学路で、
たぶん場所はそこです。1人でランドセルをしょって走ってたんです。
そしたらいつもと違って、いつまで走っても息が切れない。
だんだん気持ちがよくなってきて・・・

ギシギシという音が聞こえて、気がついたら低空を飛んでたんです。
地面からは30cmほどしか浮いていなかったと思います。
踏み切ったりした覚えはなかったのに、走っている延長ですーっと体が浮いて、
そんなにスピードはありませんでしたが、何秒も空を前に進んでいたんです。
その間はまるで夢を見ているような心地でした。
茶色っぽいあたりの景色がすーっと流れて、風が顔にあたって、
右足から着地したんです。そのとき足がミシッと鳴って、

重い痛みを感じました。歩けないくらいではなかったので、
家まで足を引きずりながら歩いて母に訴えたんです。

すぐ病院に連れていかれ、痛い部分の足底のレントゲンを撮ったら、
踵の骨にヒビが入っているということでした。
お医者さんに「高いところから飛び降りたりしなかったか」と聞かれて、
「空を飛んだ」と答えて笑われたそうです。これは母に後から聞きました。
幸い、ギブスをつけることもなく、
「かかとをつけないようにして歩きなさい」と注意されて、
まだ小さかったこともあって、1ヶ月かからずに治ったんです。
それから、何度も何度も試してみました。もう一度飛べないかどうかをです。
でも、いくらジャンプしても、助走をつけて踏み切っても、

そういうことは二度と起こらなかったんですよ。

まあ自分でも、夢だったんじゃないかなとは思っていました。
でも、あの感覚が忘れられなくて中学校で陸上部に入り、
短距離とロングジャンプの選手になったんです。
成績はそこそこよかったんですよ。特にロングジャンプのほうは

県で標準記録を超えて,全国大会まで行ったんです。
全国での記録は平凡なものでしたけど・・・
でもその結果が評価されて、高校には推薦で入ることができたんです。
もちろん3年間、部活を続けることが条件でしたけど。
この頃にはもう、小学校のときのことはすっかり、
夢か想像の中の出来事だと考えていたんです。

高校の陸上部はレベルが高く、短距離は通用せず、
ロングジャンプの選手も何人もいました。
1・2年の頃はそれでも学年別の大会では賞状をもらうこともありました。
ところが3年生になって、スランプというか、
大事な大会の前なのにこれまでの記録も飛べなくなってしまったんです。
もちろんフォームをビデオに撮って、助走や踏み切りの研究もしました。
でもどうやってもダメで、このままでは全国出場どころか、
県大会での入賞も危うい感じだったんです。
自分一人ではどうしようもなく、外部からこられているコーチに

相談しました。それが3日前のことです。

コーチは体育系の大学でスポーツ生理学の講師をされておられる方で、
もちろん、元陸上選手です。専門は短距離走でしたが、

ジャンプ系の種目も見てくださっていたんです。
学校の競技場のベンチで話しましたが、
親切にいろいろアドバイスをしてくださいました。
言われたことはどれもちょっとした改善点だったので、
明日からのやる気がわいてきたんです。話の最後に、「もう一度小学校の

ときみたいに飛べたら」みたいなことを、なんの気なしに

言いました。コーチは「え、どういうこと?」と聞いてきましたので、
「夢だと思います」と前置きして、昔の体験を話したんです。

馬鹿にすることもなく、コーチは熱心に聞いてくださいましたが、
何かを思い出すように額にしわを寄せ、
「まあ君が言うように、想像の中の出来事だと思うけど、
夏(か)の法って聞いたことがある?」とおっしゃいました。
私が首をふると、「夏(か)というのは古代の中国にあった王朝で、
今から3千年も前のことだ。
そこの国の特別な血筋の人は空を飛べたって言われてる。
高く舞い上がるんじゃなくて、君がさっき説明したような低空飛行。
いろんな説があるし、当然、伝説だと考える人が多いんだけど、
竹ひごのような弾性の原理で飛んでいた、っていう話もあるんだ」

「弾性・・・ですか」 「そう、ほら竹ひごの両端をそれぞれ持って、

たわめてから手を離すとどうなる?」 「ヒュンと飛びます・・・ね」
「うん、体全体でその原理を使って飛ぶことができたという少数意見も、
中国ではあるらしいよ。発掘された骨から、

その痕跡を探し出そうとしてるんだって。
それと、その血を現代まで受け継いでる人もいるかもしれないって」
こんな話を教えていただいたんですが、さすがにこれは信じられませんでした。
コーチが私に気を遣って、冗談を言ってくれたんだろうと思ったんです。
金・土の練習で、言われた改善点を意識しながらやっていると、
少しずつ記録が元に戻ってきたんです。
日曜日は休養のため練習が休みでした。

気晴らしも必要だと思い、陸上部の仲間と相談して、

ショッピングの予定を立てました。10時に郊外の

ショッピングモールの前で待ち合わせと話が決まり、当日、電車で出かける

ことにしました。推薦入学のため、私だけ高校のある街から

少し離れたところに住んでいたんです。平日ほどではないですが、

駅は買い物の人で混んでいて、私はホームの前のほうに並んでいました。

電車が入りますというアナウンスがあって、少し下がったとき、

その動きに合わせるよう後ろから背中を押されたんです。
かなり強い力で、私は手足をばたつかせながら前にのめり、
線路の上に足を踏み出して・・・そのとき、ギシギシと体が鳴り、
宙を泳いでいました、小学校のときのように。

立った状態で、魔法でもかかったかのように私は軽々と

2車線のレールを跳び越え、反対側のホームに立っていました。

ゴーという音が聞こえたのでふり向くと、私がさっきまでいた

ホームに列車が滑り込んできました。私が全身の痛みでうずくまる直前、

向こうのホームの私がいたあたりの人たちが、
呆然と口を開けてこちらを見ているのが目に入りました。
その中で一人だけ、足早に歩み去っていく人の背中・・・
コーチの後姿に似ていたんです・・・これで終わります。