医療のオカルト | 怖い話します(選集)

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ここはまとめサイトではなく、話はすべて自分が書いたものです。
場所は都内某所にある怪談ルーム、そこに来た人たちが語った内容 す。

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今回はこういうお題でいきます。けっこう書くことがありそうですが、
まとまらない内容になりそうな気もします。
病院というのは、学校と並んで怪談の舞台としてよく使われます。
自分も、いわゆる「病院の怪談」をいくつか書いています。

学校も病院も人が集まって生活する場ですが、大きな違いは、
学校はふつう夜になると家に帰るのに対し、病院は入院患者がいます。
それと、当然ですが、病院では死がひじょうに身近なものとして
存在していることでしょう。ですから、怪談としての内容も、
学校の場合よりも深刻なものになることが多いですね。

自分の体で薬草を見分けたという中国の神農
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自分は3年前、大きな病気をして入院・手術をしましたが、
まず病院にいるだけで気が滅入ります。こう言うとなんですが、
まわりが高齢者だらけなんですね。それは病室だけではなく、
売店などに下りていったときに見る外来患者も同じです。
少子高齢化社会というのが実感できてしまうんです。

自分は死を意識せざるをえない病気で、手術もかなり危険のある
ものでしたので、毎日不安で夜もよく眠れませんでした。
あるとき夜中に、病棟の廊下をコツコツと早足で歩く音がして、
病室の入口の前を過ぎるとき、「死んでるなんてバカな」
という小さな声が聞こえたんです。

医学の祖とされるピポクラテス
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おそらく、夜間の定時見回りに出た看護師が、患者がベッドで
死亡しているのを発見し当直の医師に知らせ、確認しに足早に
向かってるとこだったんでしょう。この短い言葉を耳にしたときは、
心底ゾーッとしました。心霊など以前の問題として、
自分の死が身近にあるというのは怖いものです。

さて、医療は洋の東西にかかわらず、古くから行われてきました。
怪我をしたときの血止めや傷の縫合、骨折に添え木をあてるなどの
手当てもありましたが、やはり薬学の発達が早かったようです。
古代エジプトでは、紀元前1550年頃と推定されている
パピルス文書に、約700種の薬品名が出ていますし、

古代ギリシアの、医学の祖と言われるヒポクラテスは、
400種の薬を使用したとされています。古代中国では、伝説上の
皇帝である神農が、薬となる植物を判別して人間に与えたと言われます。
紀元前後には、中国最初の本草学の書、『神農本草経』が
編纂されたと考えられています。

蒲の穂で白兎を癒やす大国主命
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日本では、『古事記』に、大国主命の有名な因幡の白兎の話が
出ていますね。ウサギがサメを騙して海を渡ろうとし全身の皮を
はがれたのを、大国主命は「真水で体を洗ってから、蒲の穂を
体にまぶしなさい」とアドバイスします。蒲の花粉には、
実際に止血・鎮痛の効果があるようです。

また、後に大国主命自身が兄の神たちの恨みを買って、焼けた大岩を
抱かせられ全身に火傷を負った際には、母親の神が、赤貝の粉を削り、
はまぐりの汁と混ぜたものを大国主命の体に塗り、命を救っています。
古代には火傷の薬と考えられていたようですが、
どのくらい効き目があるのかはよくわからないですね。

温泉の神でもある大国主命
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大国主命はまた、少彦名神と国々を巡り、『出雲国風土記』には、
人間の寿命が短いのを哀れんで、各地で温泉を掘り、
「温泉の術」を定めたと出てきています。大国主は医療とともに
温泉の神でもあるとされ、現在でも温泉地では大国主命を
祀ってるところが多いんです。

こうして、経験則による薬草の知識はそれなりに深まっていったんですが、
人体そのものの仕組みは長い間わからず、治療には限界がありました。
杉田玄白らが腑分け(解剖)を行ったのは、江戸後期に入る1771年の
ことです。その結果、玄白はオランダ語医学書の正確さに驚くとともに、

五臓六腑は陰陽五行説からきたもの
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それまで日本の医師に伝えられてきた五臓六腑が、いかに間違いだらけ
だったかを痛感することになります。ですから、薬草だけでは多くの
病気は治らず、医療は呪術と結びつくことになります。
清少納言の『枕草子』の「にくきもの」という段には、

「急に病気で苦しむ人が出たので修験者を探したが、いつもの場所に
おらず、あちこち探し歩いてやっと来てもらった。さっそく祈祷を
始めたが、たくさん物の怪を祓って疲れ切っているのか、
すぐに声が眠たげなものになったのは癪に障る」と出てきます。

84歳と、当時としては長生きだった杉田玄白
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平安時代の中期頃でも、医療の現状はこんなものだったんですね。
当時は、天皇が病気になると、有名各寺院が加持祈祷を行って
平癒を願ったんですが、当然、亡くなる天皇はそのまま亡くなりますし、
武士や庶民には、医療はないも同然だったんだと思います。

病気になったらありがたい護符をいただいてきて飲む。そういうことが
江戸時代まで続きましたし、昭和でも戦後すぐのあたりまでは
町々に拝み屋がいて、子どもの疳の虫をとるなどのことをしていました。
また、医療は病気の治療だけではありませんが、疫病の流行時には予防
として、門口に鍾馗様や牛頭天王の札を貼ったりしてたんですね。

疫病除けの鍾馗図
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さてさて、ということで、医療と呪術は長く深い結びつきがあります。
ですから、疑似医療行為はいつまでたってもなくなりませんし、
ネット上には、「末期からの生還、私は奇跡を体感した」などの
惹句があふれています。みなさんもお気をつけください。
では、今回はこのへんで。

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