☆久々映画☆
今日は久々に映画を見てきました
見た映画は「僕等がいた」
前編は高校時代の話だったので、ぶっちゃけ自己投影と言うかそれほど入り込んでみることができませんでした
だって高校生ってうちの生徒と同じ年齢でしょ?
現実的に考えて、あんな美男美女はいないし、ねぇ…
けど生田斗真は神的にかっこよかった
あたしたち同じ歳(笑)
後編は前編から六年後?の話だって
だから社会人になるかならないかくらいの話だけど、それでも若いよね
この歳になると高校生の純愛が紆余曲折を経て結ばれる?みたいな流れは飽きた(笑)
「ハナミズキ」とかぶる
いつからこんな残念な人になってしまったのかな
寂しいアラサー女が加速してく
けどこの映画、見る人が見れば絶対素敵な映画です
他は今なら「TIME」とか面白そうだよね
今週は時間があるので色んな映画見に行ってみようかなぁ

見た映画は「僕等がいた」
前編は高校時代の話だったので、ぶっちゃけ自己投影と言うかそれほど入り込んでみることができませんでした

だって高校生ってうちの生徒と同じ年齢でしょ?
現実的に考えて、あんな美男美女はいないし、ねぇ…
けど生田斗真は神的にかっこよかった

あたしたち同じ歳(笑)
後編は前編から六年後?の話だって

だから社会人になるかならないかくらいの話だけど、それでも若いよね

この歳になると高校生の純愛が紆余曲折を経て結ばれる?みたいな流れは飽きた(笑)
「ハナミズキ」とかぶる

いつからこんな残念な人になってしまったのかな

寂しいアラサー女が加速してく

けどこの映画、見る人が見れば絶対素敵な映画です

他は今なら「TIME」とか面白そうだよね
今週は時間があるので色んな映画見に行ってみようかなぁ

☆3.11☆
あれから一年
一年前の今日は学校にいました
産まれてから経験したことのない揺れ
避難訓練以外で机の下にもぐったのはあの時が初めてでした
そしてテレビをつけ、地震の情報を得つつ、すぐに校舎内の点検をした
教室の掛け時計は見事に落ちていた
机の上に逆さに置いていた椅子も落ちていた
体育館の屋上にあったプールからは見事に水漏れをし、体育館はびしょびしょだった
数人の教員で水捌けをした
そしてそれが一段落してグランドが出ると、また大きな揺れが
外にあったネットのポールも大きく揺れ、外にいるのも危ないということになり、職員室へ戻った
そしてテレビで地震の状況を確認したらそこにあった状況に少しパニックになった
故郷東北のあり得ない状況
すかさず実家へ連絡した
すぐに繋がらなくて何回かかけた気がする
母親は仕事だし、父親は兄の家(愛知)にいたから、家にはおばあちゃん1人
後先考えずに電話した
そして電話が繋がり、出たのは母親だった
急遽、家に帰ったんだと思う
「こっちは大丈夫。おばあちゃんも元気だよ。東京は大丈夫?」
「うん、大丈夫」
シンプルな会話だったけど、とりあえず安心して今度は自分のことに戻った
不安で仕方なくて、家が近くの先生と一緒に帰った
バス、徒歩、電車
待ち時間も含めたら八時間くらいかかった
いつもは40分程度の通勤時間が、八時間
どこにいっても人人人
緊急時の無力さを感じた
そして部屋に着いて、テレビ落ちてたり、お皿とか割れてるだろうなとか思ったけど、無傷だった
そして、テレビをつけ、再度地震の被害状況を知る
呆然とした
涙が出た
そしてその夜は何度か揺れた
次の日も、また次の日も
電車も運行本数を減らし、ガソリンスタンドにも長蛇の列ができた
そして物流がストップし、給食が食べられなくなった
電車に乗って職場にいくこと、そしてお昼には給食を食べること
当たり前だったのに、なくなった
そして震災から数日後に行った卒業式
卒業式ができるありがたさを感じた
震災がもたらした被害は甚大だ
けど震災から学んだこともあった
私の周りの人たちは幸運なことに命にか変わる被害を受けた人はいません
だから私が何をいっても軽い言葉かもしれない
けど私は忘れない
2011年3月11日のことを
被災された方が1日も早く元の生活に戻れるようお祈りしています
そして私も自分ができることをし、東北をサポートしていきます
Android携帯からの投稿
一年前の今日は学校にいました
産まれてから経験したことのない揺れ
避難訓練以外で机の下にもぐったのはあの時が初めてでした
そしてテレビをつけ、地震の情報を得つつ、すぐに校舎内の点検をした
教室の掛け時計は見事に落ちていた
机の上に逆さに置いていた椅子も落ちていた
体育館の屋上にあったプールからは見事に水漏れをし、体育館はびしょびしょだった
数人の教員で水捌けをした
そしてそれが一段落してグランドが出ると、また大きな揺れが
外にあったネットのポールも大きく揺れ、外にいるのも危ないということになり、職員室へ戻った
そしてテレビで地震の状況を確認したらそこにあった状況に少しパニックになった
故郷東北のあり得ない状況
すかさず実家へ連絡した
すぐに繋がらなくて何回かかけた気がする
母親は仕事だし、父親は兄の家(愛知)にいたから、家にはおばあちゃん1人
後先考えずに電話した
そして電話が繋がり、出たのは母親だった
急遽、家に帰ったんだと思う
「こっちは大丈夫。おばあちゃんも元気だよ。東京は大丈夫?」
「うん、大丈夫」
シンプルな会話だったけど、とりあえず安心して今度は自分のことに戻った
不安で仕方なくて、家が近くの先生と一緒に帰った
バス、徒歩、電車
待ち時間も含めたら八時間くらいかかった
いつもは40分程度の通勤時間が、八時間
どこにいっても人人人
緊急時の無力さを感じた
そして部屋に着いて、テレビ落ちてたり、お皿とか割れてるだろうなとか思ったけど、無傷だった
そして、テレビをつけ、再度地震の被害状況を知る
呆然とした
涙が出た
そしてその夜は何度か揺れた
次の日も、また次の日も
電車も運行本数を減らし、ガソリンスタンドにも長蛇の列ができた
そして物流がストップし、給食が食べられなくなった
電車に乗って職場にいくこと、そしてお昼には給食を食べること
当たり前だったのに、なくなった
そして震災から数日後に行った卒業式
卒業式ができるありがたさを感じた
震災がもたらした被害は甚大だ
けど震災から学んだこともあった
私の周りの人たちは幸運なことに命にか変わる被害を受けた人はいません
だから私が何をいっても軽い言葉かもしれない
けど私は忘れない
2011年3月11日のことを
被災された方が1日も早く元の生活に戻れるようお祈りしています
そして私も自分ができることをし、東北をサポートしていきます
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