観る羽目になった映画
「響 -HIBIKI-」
主人公の響役の演技が凄くて感動
驚いたのはそれが役者ではなくて
欅坂46という
アイドルグループの女性だったことでした
最後に流れる唄の歌詞や
そこに入れ込んだ想いが伝わってくる
主題歌も素晴らしかったです
この作品には大切なメッセージが
散りばめられていて
今の大人たちの淀んだ感性を
ぶった切っていく主人公
それは言葉だけではなく
暴力さえも含むのであるが
そこには確かな理由がある
「普通は・・・」
「みんなが・・・」
ついつい自分の意見に見せかけて
誰かや何かの看板を盾にして
自分ひとりとしての意見を
言えない大人たちに切り込む
観終わった時よりも
後でじわじわと良さが沁みてくる作品でした
「これがいい!」がボヤけていくと
「どうでもいい」感性となってしまうかもしれない
本音というのは限界が来るまでは
小さなささやき声であったりする
肉体や精神が壊れて限界になりそうな時に
本音は叫び声を上げるのかもしれない
最近は忙しくてアーティストとしての感性を
封じ込めていたんだなあと気づきました
ふとした合間に降ってくるイメージやアイデア
「創ってる暇はないから・・・」と
次々に封じ込めていたんだなあ~
いつの間にかアーティストとセラピストを
使いわける狭い意識になってました
どちらか?ではなくて
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20181005/19/dragonart/7c/0a/p/t02200157_0640045714278603530.png?caw=800)
ブルース・リーはこんな言葉を残しています
「柔軟であれ、しかし従属はするな」と・・・
僕はどちらでもいい事柄は
相手の意見を尊重します
僕はどちらでもいい事柄は
相手の意見を尊重します
しかしそれを続けていくと
多少嫌だけどまあいいか・・・
となるところもある
やがて
本当は嫌だけどまあいいか・・・
となって自分の感性を見失う
多少嫌だけどまあいいか・・・
となるところもある
やがて
本当は嫌だけどまあいいか・・・
となって自分の感性を見失う
「これがいい!」がボヤけていくと
「どれでもいい」感性となり
「どうでもいい」感性となってしまうかもしれない
本音というのは限界が来るまでは
小さなささやき声であったりする
肉体や精神が壊れて限界になりそうな時に
本音は叫び声を上げるのかもしれない
最近は忙しくてアーティストとしての感性を
封じ込めていたんだなあと気づきました
ふとした合間に降ってくるイメージやアイデア
「創ってる暇はないから・・・」と
次々に封じ込めていたんだなあ~
いつの間にかアーティストとセラピストを
使いわける狭い意識になってました
どちらか?ではなくて