違っていい、どうせひとつだから | 琉球ドラゴンアート

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沖縄から楽に豊かに循環する世界づくり
発酵ヘンプ「麻ほうの手あて」龍と言霊「ドラゴンアート」

無であるときはひとつだった
それは同時に無限であった

同じひとつであったから、
存在を認識することはできない

そこで、ひとつの点ができた
それは違いを生み出した

光を創ると同時に闇ができた

それは、互いを認識し合うため
自分にないが、本来もっていたものを認識するため

だから存在は違っていい

ひとつであることからは
実は学ぶことなどひとつもない


私が私であることをどうして学ぶ必要があろうか?


だから、私は私でいい
あなたはあなたでいい


でも、本来は、私はあなた
あなたも私・・・

説明すればするほど本質から離れていく


でも、どこかで感じてる

感じるのは、その記憶があるからだ
何もなければ認識も感じることもできない


別れていくことに悲しみを
つながっていくことに喜びを持つのは
本質から遠ざかる悲しみと
本質に近づく喜びかもしれない


ひとつの細胞が分化して一人の人間を形成する
細胞がいくら増えても、一人の人間であることに変わりはない


宇宙の星がいくら増えようと
減ろうと、宇宙の中でのできごと


そして我々も宇宙の中の一粒