☆☆ あなたのシニアライフは豊かになりますか? ☆☆


■2015/07/12 ラン

昨日に続き、頑張るかなぁ

今日は 鎌倉十橋を回ることに

殆どは 一度は通ったところ

あらためて 橋シリーズ 巡回だ


これが鎌倉十橋の全体図
01鎌倉十橋全体.jpg
鎌倉十橋


まずは、北鎌倉の十王堂橋をめざそう



橋までの途中 

スタート早々、線路土手 きれいなゆり

鮮やかな鬼百合 発見
02鬼百合1
鬼百合



さあ 一気に亀が谷を登り

北鎌倉へ

JR沿線の垣根越しの花
03北鎌倉はな
のうぜんかずら


すぐ脇を勢いよく横須賀線が通過中

近すぎで 少々 騒音が煩いね

北鎌倉付近 
04横須賀線
横須賀線


ここは 円覚寺の入口

まだ 重たそうな門が閉ざしてる

こちらは今回は素通り
05どこだっけ
円覚寺前


ここは白鷺池(びゃくろち)の前
06あじさい
白鷺池とひっそりアジサイ




まず、最初の橋

十王堂橋

すこし 判りずらい所にある

短い橋なので 思わず素通りしてしまった

ひらがなの橋名
07はし1
じゅうおうどうばし


こちら側は 漢字名
08十おうどうはし
十王堂橋

向かいの道路脇から
10十はしまわり
正面からの十王堂橋 

昔この橋の近くに閻魔など十王を祀った十王堂があったことから
この名が付いたとされています。その十王堂はなくなってしまったが
御堂に安置されていた十王は、円覚寺塔頭 「桂昌庵」に移され
そのため、桂昌庵は「十王堂」と呼ばれている。

十王堂橋の場所は北鎌倉駅から鎌倉街道を150m程北に行った所

なんとなく、橋自体は ぱっとしないかな・・・

さあ 次 行こう

北鎌倉から鎌倉へ戻ります

静かな駅前
11北鎌倉駅
北鎌倉駅


また 北側に踏切を渡り

線路脇を鎌倉方面へ疾走!?

きれいな萩

でも ピンとが線路に・・・(汗)
12はぎ
夏萩と横須賀線


続いて 今が盛りの姫檜扇水仙

今度は電車にピントが合ってる!
13ひめおうぎ
姫檜扇水仙と横須賀線

今度こそは!

と、百日紅に照準

電車とのツーショットの逃した(泣)
14さるすべり
百日紅


残念だが、電車を待つ訳にもいかず・・・

さあ、いざ 鎌倉方面へ

鶴岡八幡 到着

先ずは参拝
15本殿前
八幡様本殿前

久しぶりに源平池を覗いて見た

この時期は ラジオ体操で

朝早くにぎわってるけど

もう終わってたようだ


葉っぱだけ生い茂ってる
16源平池
源平池のハス

さてと

ここから歌の橋のある東の方面へ

この花木も綺麗だ

百日紅とはちょっと違うようだが・・・なんだろ
18さわやかはな
百日紅似?の花



これも珍しい

ここのお宅しか見かけないなぁ

突抜忍冬(つきぬきにんどう)
19あたらしいはな
つきぬきにんどう


ここ 荏柄天神の前を通過すると

次の橋に到着だ
21荏柄てんじn
荏柄天神鳥居

二つ目は 歌の橋


歌之橋(うたのはし)
22うたのはし
うたのはし

橋の脇には石碑もあります

道路は結構通りが激しい街道で

普段はほとんど見過ごしされているかも
24うたのはし3
向かい側の橋

■歌之橋

この橋はかながわの橋100選

金沢街道の二階堂川に架かる橋

1213年2月に渋川刑部六郎兼守(かねもり)が謀反の疑いで処刑されそうになったとき
無実の思いを十首の和歌にこめて荏柄天神に納めた。翌朝、将軍の実朝はその歌を
聞いて感動して罪をゆるした。兼守は神に感謝して、そのお礼としてここに橋を
造り納めた。これがこの橋の名の由来。

★フルマラソン完走への道34 鎌倉朝比奈切通をめざす(アジサイ)の石碑巡りでも紹介!


お次は筋替橋だ

位置としては 少し戻る感じだね

戻る途中の沿道に

鮮やかに咲くサルビアとバス
25サルビア
サルビア・グアラチニカ


ここが三つ目

筋替橋だ

石碑脇の標石には

筋違橋と・・・残念ながら現在は暗渠となっている
26すじちがいはし
筋違橋


石碑には筋替橋とある

筋替橋 (すじかえばし)
27すじちがいはし2
筋替橋 (すじかえばし)

石碑の解説には須地賀江とも・・・


向かいの角から見たところ
28すじちがいはし3
筋替橋周辺

■筋替橋

宝戒寺の近く筋替橋 (すじかえばし)

1247年6月に三浦康村(やすむら)一族が反乱した際
北条時頼の外祖(母方の祖父)たる安達景盛(あだちかげもり)は
その一族と共に兵を率(ひき)いて、この橋の北の辺りに集まり
康村の屋敷を攻めたことが吾妻鑑(あずまかがみ)に記してます。
また鎌倉に於ける商家の営業地域を数か所に限定するという告知書が
1265年3月に出され、そこに「須地賀江(すじかえ)橋」と書いてある

●フルマラソン完走への道34 鎌倉朝比奈切通をめざす(アジサイ)の石碑巡りでも紹介!


4つ目は夷堂橋へ


途中 おんめさまで

まずはいつもの通りお参り

ちょうど花が終わった蓮
29おんめさまはす
おんめさまの蓮


隣には紫式部の紫色の小さな花
30おんめさま2
紫式部

すぐ隣には

女郎花(おみなえし)

鮮やかでした
31おんめさまおみなえし
おみなえし


ひときわ 鮮やかなブルー

擬宝珠 (ぎぼうし)
32むらさきはな
ぎぼうし

ちょこんと 

赤い蓮の花が微かに

覗けた
33あかいはす
赤蓮


日陰で

威勢のいい

鬼百合
36おにゆり2
おにゆり


毎度 こちらの境内では

花を愛でることが楽しみでもあります

毎週 訪れる度

花の表情が豊か



お寺をやり過ごして

次の目的が見えてくるけど

ちょっと

橋の手前の本覚寺の境内に立ち寄り
37ほんかくじはす
立派な蓮

ホレボレする 美しさ

今日は これから 散り始めるな
38ほんかくじはす2
蓮の花


改修工事中の本覚寺の山門をくぐると

4つ目は 夷堂橋

本覚寺のすぐ前を流れる滑川に架かる橋

ここは 道路がぐねっと? まわっていて

その道路の両脇に歩道が整備されている

比較的最近整備された こぎれいな橋

夷堂橋(えびすどうばし)
39えびすはし
夷堂橋


ここも欄干の擬宝珠が立派

これ、偶然おんめさまの花の名前と同じだ

たまねぎのあたまって意味らしい

銅つくりかな?
40えびすはし2

橋から河を覗いて見ると・・・
42えびすはし4
橋の下 カモ


■夷堂橋

こちらの橋もかながわの橋100選

ここには昔 夷堂があったとのこと。
この川は現在は滑(なめり)川といいますが昔は場所によって多くの呼び名があり
上流では胡桃(くるみ)川、浄明寺門前では滑川、文覚 (もんがく)屋敷跡の辺り
では坐禅(ざぜん)川と この辺りでは夷堂川と呼び、延命寺の辺りはスミウリ川
閻魔(えんま)堂跡の辺は閻魔堂川といったようです。


●フルマラソン完走への道33 鎌倉石碑めぐり  12か所 の石碑巡りでも紹介!


こんどは大町方面へ

逆川橋と乱橋だ

どっちが手前だったかな?


途中、大町の八雲神社近く

子供神輿が出るんだ

残念、シャッター下りてた
44やぐもじんじゃ
神輿準備前

神社前の参道

飾り付け提灯が

朝日でまぶしい
45まつり
神社参道

参道前には小さな子供たちが描いた

ぼんぼり提灯だ

かわいいね
46まつり
ぼんぼり提灯


鳥居前には

りっぱな絵柄だ

逆光でまぶしい
47まつり2


ここを過ぎれば 大町四つ角

到着かなぁ

あっここはまだだ

これは十橋じゃないけど 次の逆川橋より 大きいよ

ところで 

30年程前の独身時代 

この辺りに一年ほど 住んでいたので

来るたび 懐かしいね

近くの床屋さん(いまは無い)に随分とお世話になりました

で、この橋の名は魚町橋
48うおつりはし
▲(魚町橋)  

あとで調べたら  

へえええ 「いおまちばし」 と読むそうな   

★大町四ツ角の南を流れる逆川には、朱塗りの「魚町橋」(いおまちばし)
「魚町」(いおまち)の地名は、1265年(文永2年)に指定された小町屋の中の一つ
にその名がみられ1850年(嘉永3年)版の「鎌倉一覧之図」には、大町四ツ角の南に
「魚町橋」と記されている。近くには「町屋址」の石碑も建てられているが、「魚町」
は甘縄神明神社付近とも推測されていてその詳細は不明となっているとのこと。
ただ、この辺りが鎌倉期に栄えた商業地域であることは間違いのないと考えられている。


いよいよ 

五つ目の橋は逆川橋
49逆井はし
逆川橋の標石


注意して探さないと

ここの橋も見過ごしそうなほど

ひっそりと・・・
51逆井はし3
逆川橋(さかさがわばし)


ちいさな花とツーショット
52逆井はし4
橋標と花

■逆川橋
魚町橋(いおまちばし)を渡ると すぐ左側に逆川橋の橋標が見える
小町大路から民家の並ぶ細い路地に入ると「逆川橋」(さかさがわばし)が架けられている
下を流れる逆川が地形の関係から海とは反対方向に流れているため、この名が付けられてる
逆川は「黄金やぐら」付近を源流とし、滑川(閻魔川)に合流するようだ

そこからほどなく 横須賀線踏切

その前のお宅生垣から

のうぜんかずらがたわわに

咲き乱れていた

次は乱橋
54はな2
のうぜんかずらと横須賀線

踏切を渡りすこし進めば水道路交差点

六つ目は水道路交差点から

興福寺に向かってほんの少し走れば

すぐに見つけられる

道の右向かいには石碑があるからね

碑が建つ側の川は暗渠になっている
55なにはし
乱橋 (みだればし)


新田義貞が鎌倉に攻め入ったときに、北条軍が乱れ始めた場所
であることから「乱橋」と呼ばれるようになったというが
すでに『吾妻鏡』には1248年6月の記録に18日の午前4時頃
濫橋の辺に雪が降りまわりは霜のように白くなったと
「濫橋」という記載があることが石碑に書かれて
橋の南の方に連理(れんり)木があって有名でしたと。

雪、霜 縁起のよい「連理木」など情緒あるところかな・・・
乱とか濫などはかなり勢いのありそうな文字だが・・・

★フルマラソン完走への道33 鎌倉石碑めぐり  12か所    の石碑巡りでも紹介!


反対側には細い川の流れが僅かに見える
57むかい2
かぼそい川




さてと

こんどは 一番西の橋をめざす

まずは極楽寺まで

その先のに はりすりばし


ここ材木座から一旦海岸まで行こう

途中の側道で見かけたランタナ
58七変化
七変化


海岸に到着

ここから134号線を西へ
61由比ヶ浜2
由比ヶ浜海岸と134号線


滑川橋まで トウチャコ

この擬宝珠は何をモチーフとしてるんだろう
63滑川橋
滑川橋

滑川は十二所に端を発し、浄明寺、雪ノ下、小町、大町、材木座と鎌倉の中心部を流れ
相模湾に注ぐ、鎌倉市内のみを流れる川として最も長く、流域面積も最も広い川
その相模湾にそそぐ河口の最後に架かる橋だ


さあ、ここから少し 距離あるけど さらに西へ





やっと 極楽寺に到着(汗)

ここからあと少しで

目的の場所
64極楽寺ポスト
極楽寺駅前ポスト



いよいよ 七つ目の橋

極楽寺駅前から

雑貨屋前の十字路の西南脇

石碑が見える側は 既に暗渠になっている

針磨橋
65針橋
石碑


向かいに橋と標石が見える
67針磨
針磨橋と標石

よくみると橋隣のお宅物置の脇に

ひっそりと標石が置かれてた
66播磨はし
針磨橋標石

■針磨橋(はりすりばし)

昔、針金を磨いて針を作る老婆が住んでいたのでこの名がついたといわれる
別名、「我入道橋」とも呼ばれ、極楽寺塔頭に住んでいた我入道という
僧侶が針を磨いていたからという説もある

★フルマラソン完走への道33 鎌倉石碑めぐり  12か所  の石碑巡りでも紹介!


さてと残りの橋は

帰り道の3つ

戻ろう!



極楽寺坂 途中

改めて標識版を眺めてみたら

結構歴史あるんだ
69江ノ電土木遺産
江ノ電土木遺産


桜橋の上から 見える極楽洞

かなり 立派な標識版だ
70ごくらくどう
極楽洞の標識版


前に見える 赤い橋が桜橋

4~5年前に周辺の補修工事で随分と綺麗になった
71さくらばし
さくらばし



橋の下をのぞくと見える極楽洞

ちょうど 江ノ電が通過中
73トンネル
極楽洞と江ノ電


極楽洞に江ノ電が

吸い込まれていく
74トンネル2
極楽洞



暑くなってきた! 先を急ごう

残りは 琵琶橋、裁許橋、

最後は お勝の橋

がんばろう!

あとは 戻り道

と、思ったとたん 急に足にきた!!

長谷から由比ヶ浜まで戻ると

しんどい

この公園で 給水し

暫し 休憩だ(泣)
75はせみずのみこうえん
はぜ公園



そうか、琵琶橋は 若宮大路だから

一旦 少し戻るんだ

和田塚付近の踏切横
76和田塚ふきん
江ノ電と琉球朝顔


すぐ隣のお宅には 百日紅がいい感じ
77さるすべり
さるすべり


若宮大路にやっと出た



いよいよ八つ目

川沿いの橋 

下には佐助川が流れてる

次に向かう裁許橋も この佐助川に架かっている

琵琶橋
78びわばし
びわばし


道路側(若宮大路)の標石

道路幅はかなりあるので

ゆっくりと確認できる

どちらの橋もすこしアップ気味だった(泣)
79びわばし2
道路寄りの標石と案内

■琵琶橋

若宮大路を下馬交差点から由比ヶ浜へと進むとすぐ
滑川へと注ぐ手前の佐助川に架けられている
昔、一の鳥居から二の鳥居の間が「琵琶小路」と呼ばれて
この名が付いたと伝えられている
「琵琶小路」という名称は、この道が外に彎曲していたため
それが琵琶の胴の曲線に似ていたことから付けられたという

道が彎曲していたのは弁財天の祠があったからで
源頼朝が妻北条政子の安産祈願の目的で造営させ
鶴岡八幡宮の参道若宮大路(段葛)を通す際に一直線の道にして
その時、佐助川に琵琶橋が架けられた
弁財天は鶴岡八幡宮の旗上弁天社に移されたと伝えられている。

・・・・

なるほど・・・・

琵琶法師のびわかぁ


いよいよ後2つだ


下馬四つ角から八幡様に向かい左へ曲がる

ふたたび 江ノ電踏切を渡り

御成り通りを横切り 今小路へ
80ぼんぼりまつり
御成通り商店街 ぼんぼり祭り案内



喜多川映画記念館のポスターだ

有名な翻訳家・戸田さんのトークショーかな?
81きたがわきねんかん
喜多川映画記念館ポスター


横目で見ながら

今小路へ抜けたら

九つ目の裁許橋


橋に絡みついてるのは 琉球朝顔
83さいきょばし2
裁許橋


反対側の橋の脇の様子 

川はほとんど見えないや
82さいきょばし
さいきょばし


もう一度 道路向かいに行き

琉球朝顔のドアップ!

自生しているんだろう

毎年 鮮やかに楽しませてくれる
84さいきょばしはな
琉球朝顔と裁許橋

■裁許橋

鎌倉駅西口から今小路を由比ヶ浜方面へ御成り小学校を過ぎて
佐助川に架かる橋

鎌倉時代、この橋の近くには問注所があって、そこでの裁判の結果
無罪放免となった者が渡った橋であることからこの名がある。

一方、有罪だった者はというと
現在の六地蔵辺りにあった刑場に連れていかれ処刑された。

六地蔵は罪人供養のために建立されたそうで
昔の裁判は、無罪か重罪かのどちらかであったので
裁許橋を渡るか否かでは大きな違いがあった。

何時の時代にも悪い奴がいたんだね

ちなみに、裁許橋にはもう一つの呼び名を「西行橋」とも言うそう
『新編相模国風土記稿』では「西行橋」と紹介されている。
一説によると、東大寺再建の勧進のため奥州平泉へ向う途中の西行が
鎌倉に立ち寄った際、この橋の上で源頼朝に声をかけられたといわれる。

なるほどね・・・・鎌倉検定でもこれは出題されそうだね。

鎌倉検定?

チャレンジしてませんが・・当分は(笑)

さてさて

かなり足に疲労が来ている

もう限界かな・・・・

あと少しだけど 歩かないで頑張れるかな

まだ・・まだ

でも 日差しが強いので 日陰を求めて走る!


これは、サルビア・グアラチニカ

この季節、あちこちで見かけるね
84サルビア
サルビア・グアラチニカ

Iphoneでもバッチリだ



あと少し 

300メートルほどで 最後の十橋 

十番目 勝の橋

標石だけの寂しい感じだね

勝の橋
85勝のはし
勝の橋 標石

標石の手前に排水路があるけど

寿福寺前の扇ガ谷川は暗渠となっていて

お寺の門前に石碑と地面に縦に置かれた標石だけ・・・



向かいの踏切を渡った脇を流れる扇川

この川には毎年 6月上旬

少ないけど ホタルが舞います

今年は久しぶりに実家に戻った長男と

たまたま、見つけました(笑)

扇川の架かる橋
86かつのはしむかいのかわ
扇川

■勝の橋

「勝ノ橋」は、壽福寺の門前に架けられていた橋
英勝寺を建てた「お勝の方」(英勝院尼)が架けたので「勝ノ橋」と呼ばれたそうです

★お勝の方
お勝の方の先祖は、戦国武将の太田道灌
1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼすと、関東は徳川家康が治める
こととなった。江戸城に奉公することになったお勝の方は、「お梶」と名乗っていた。
やがて家康の側室となり、関ヶ原の合戦や大坂冬の陣、夏の陣に従軍し、家康が戦いに勝利
したことから「お勝」と呼ばれるようになったという。家康から最も愛されたといわれ、
家康亡き後は英勝院と号した。先祖太田道灌の邸跡の一部を幕府から払い下げてもらい英勝寺
を建立している。

家康公の側室かぁ・・・。


これで 鎌倉十橋巡り 走破!

自分にお疲れ様

数字は走行した順番で

色は緑かたオレンジにスピードアップしている

Iphoneのツールです
91そうこうきせき
走行路軌跡


記録は ううううん

15キロ 2時間18分かぁ

キロ 8分47秒・・・

ダメだね
90はしのいろく・・・
走行記録


前日 久しぶりに 童心に帰り

ナイトショーに出かけたからなぁ



シュワちゃん  顕在でした

I'll be back
999ターミネータ5
限定うちわ プレゼントゲット!

少々 睡眠不足でした・・・




さあてと

次回は 鎌倉十井を走破かな


I'll be back !?



☆☆ あなたのシニアライフは豊かになりますか? ☆☆