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ξ岡崎貴子ママを偲んで

【悼】岡崎貴子さん ミナミの名物クラブ「くろねこ」のママ

  こんな記事を見つけて、思わず懐かしさと寂しさがこみ上げてきました。一代で何かを成し遂げる人には、なにかこうゆうことがくるものですね、いい人がまた居なくなりました。現代の世相や経済状態をみていると、こうゆう安らぎを持てる場所が消えていくのは口惜しい限りです。





 

浮き沈みの激しい大阪・ミナミの繁華街で1975年、カウンター形式の小さなラウンジからスタートし、一代で100人を収容できる名物クラブを築き上げた。
  鹿児島県鹿屋市出身。20歳で大阪へ出てOLをしていたとき、忘年会でミナミを訪れた。高級クラブの前で「こういうお店で飲めるように頑張りたい」と上司 が話すのを耳にするや、翌日には面接を受けて「思い立ったら即実行に移す人でした」と実妹の桑山奈津子さん(56)は語っている。
 OLのかたわらホステスとして働き、約7年後に念願の店を構えた。

  「お客さまから給料をもらっているから、お客さまを大事にする」を胸に、有名人や一流企業の重役だからと特別扱いはせず、すべての客と平等に接した。そん なもてなしに心酔した常連客は2000人以上。歌舞伎役者の片岡仁左衛門やプロ野球・オリックスの岡田彰布監督も、そんな1人だ。
 常連客の誕生日には数万円もするブランド物のネクタイをプレゼント。身内にお祝いごとがあると聞けば、祝儀や花輪を出した。そんなママを見て独立したホステスは30人以上。いつしか「くろねこ学校」と呼ばれるようになっていた。
 一昨年夏のこと。のどの調子がおかしいと病院にいったところ、食道がんと診断された。ついには声を出すのもつらくなり、昨年1月末で閉店。
 閉店後も自らの病状を差し置いて、従業員らの行く末を気にしていた。2009年11月3日に死去。

物ママの訃報は、あっという間にミナミ界隈を駆け抜けた。常連客らは、しのぶ会を開くことで準備を進めている。(この写真と記事は、http://www.zakzak.co.jp/life/human/news/20100105/hmn1001051626001-n2.htmサイトより一部引用)


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