37年前高校を卒業し新入社員の5月
教習所で修了検定に落ち
追加教習の費用が
翌月の給与まで
工面できず
困っていた時
ABC ヤングリクエストという
深夜放送のラジオ番組で
毎日一人のリスナーに
一万円が当たる企画があり
必死の思いを
一枚のハガキに
望みを託し
生まれて初めて
応募という行動に
チャレンジした
当時、新入社員の私は、
先輩からの指導に
ついていくのが精一杯で
深夜番組の応募結果を
聴けずじまいで
応募した事も
忘れていた
応募してから
10日ぐらい経った、ある日
泊まりの研修で明後日まで
帰宅しない事を母に電話した
母「龍生、朝日放送から、なんか現金書留来たで、これなんや?」
私「あ、朝日放送のヤンリクってラジオ番組に応募したのが、当たったや! お母ちゃん郵便局に明日もらって来て・・・」
研修が終わり、二日後、帰宅した私に
母「郵便局で書留の(私)名前(漢字)が違う(龍という漢字を書き損じていたらしい)から、大変やったわ・・・なんか知らんけど、当たるやな」と、自分(母)が応募に当たった様に嬉しそうに、話してくれてました、このやり取りも、普段は、忘れいる日々で37年が経ち、
先日、仕事中の車で、ABCラジオの「おはようパーソナリティ!道上洋三です」(亡き父もトラックドライバーで朝のラジオは、おはようパーソナリティを聴いていた)を何十年振り(以前の仕事は、事務仕事なので午前中ラジオを聴くことも無かった)に聴いていると、「トラトラ文化祭」で作品を募集している事を知り、今年作った私の甲子園球場の模型も、応募できるのかな?と、思い、
番組へ写真添付してメールして、
何度か応募方法確認を繰り返し
作品を朝日放送に送り、
「トラトラ文化祭」までの10日間
毎日観てきた甲子園球場の模型が手元にない寂しさと、撰んで貰えるかなという期待が交錯する日々を過ごし、
11月4日 ABCホールにて
「吉田義男賞」を頂きました。
メディアの応募は、37年前の一通のハガキと、
今回のメールの
二回だけ応募して二度とも撰んで頂き、それが どちらもABC朝日放送だった
人生には、無駄な経験は無く、必要な時期がくれば巡り合うだと、改めて思いました。
『吉田義男賞』迄の繋がり
父がタイガースファンだったから
私は甲子園に連れていってもらって
何時かは甲子園球場の模型を創りたい・・・
父がトラックドライバーだったから
早朝からラジオ『おはパソ』を聴いた
55歳で転職活動したから、
嫁が『時間あるから、甲子園(球場模型)創ったら』と言ってくれた
甲子園模型を創り始めて、
毎朝、娘が『お父さん、凄い❗』と
褒めてくれるのが嬉しく
時々、ここがもうひとつやな、と駄目だし貰い
改良点を教えてくれるのも、嬉しい
球場模型を創ってる時間は、
一言も愚痴も発しない、
無我夢中
楽しい時間
初めて創った阪神甲子園球場(初代)が
メルカリで売れたから
大きな甲子園球場模型(二代目)を創れた
二代目の甲子園球場模型が
またメルカリで売れたから
もう一度甲子園球場模型を創りたい
阪神タイガースがペナントレース最終6連勝すれば
CS進出出来るとこまで頑張ったから
三代目甲子園模型を創り初めた
(6連勝出来なかったら、球場模型も完成してなかった)
5連勝してくれたから
現場、甲子園球場に行った
甲子園球場に行ったから
三代目甲子園球場模型は完成した
三代目は、メルカリで問合せがあったが
手放したくなかったので売らなかった
『おはパソ』を聴いたから
『トラトラ文化祭』に
応募できた
応募したから
ABCホールに初めて行った
ABC に行って
『吉田義男賞』に撰んで貰えたから
道上さん
吉田義男監督
と、話(出逢うことが)できた
亡き父とのトラックでおは朝を聴いていた思い出と、
亡き母の笑顔の思い出を何十年振りに記憶の引出しから、
甦ったことが、嬉しく、こんな気持ちは、初めてなんです、
本当に「ありがとう」感謝してます。

