「魔女の家の夢」を読みました。
主人公は、ウォルター・ギルマン。ミスカトニック大学の学生で、数学と民俗学を専攻している。
彼は、17世紀のセイラムの魔女裁判で投獄されたキザイア・メイスンに興味を持ち、彼女が隠れ家として使っていた家の屋根裏部屋に下宿していた。
メイスンは、ある種の直線と曲線を用いれば、空間の壁を抜けて別次元へ移動できると豪語していた。そして、実際、投獄されていた牢屋から消えてしまったのである。
メイスンの屋根裏部屋で起居するようになってから、ギルマンは老魔女とその使い魔の夢に悩まされるようになった。老婆はメイスンであるように思われた。
ギルマンは、メイスンの魔力に操られるまま、夢遊病のように振る舞い、不思議な空間を通って部屋を抜け出し、街で頻発する幼児の誘拐に加担させられる。メイスンは幼児を生贄として混沌の神に捧げるため、ギルマンを利用しているようなのだ……。
ある種の直線・曲線・角度を利用して次元移動を可能とする――。
こういう疑似科学っぽい理屈、好きですよ。
二次元――平面で考えてみましょうか。
平面上に閉じた枠線を描いたとします。枠線は二次元世界における「壁」だとします。枠線の内側は、「壁」に囲まれた密室ということになります。どこにも出入口はありません。
しかし、三次元方向――「高さ」の方向には、「壁」はありません。二次元人は枠線に閉じ込められますが、三次元人は枠線を跨いで出ていくことができます。
このように、ある次元の視点では、密室に見える空間も、より高次元の視点から見れば、開放された空間であるのです。
ひとりの二次元人が、「高さ」の方向へジャンプしたなら、他の二次元人には消えたように見えるでしょう。
キザイア・メイスンが牢獄から消失したのも、同様の理屈で、彼女は魔術的数学――あるいは数学的魔術――を使って、高次元へジャンプして、牢獄から脱出したのでしょう。
そしてそのまま、高次元に留まり、二百年以上、生き続けた。高次元と三次元世界とでは、時間の流れ方もちがうでしょうから、より正しくは「三次元世界の計時法で二百年以上」というべきでしょうか。
次元移動のアイディアは面白かったのですが、物語として本作を評価すると、ラヴクラフト自身が認めているとおり、やや散漫な印象を受けます。
ギルマンが体験した奇怪な夢と、夢か現か判然としない出来事を逐次的に語っているだけで、物語的な軸や緩急が感じられませんでした。
ギルマンがメイスンに誘導されるまま、夢を通じて訪れた高次元世界には、クトゥルフ神話の神々が登場します。
その一方で、作品にリアリティを持たせるためでしょう、セイラムの魔女裁判で実在した人名が登場したり、「魔女の家」のモデルが実在する建物だったりします。
史実としての魔女裁判の魔女と、架空のクトゥルフ神話との接合が、どうにもチグハグな印象なのです。
クトゥルフ神話ものに実在する地名などが登場するのはよくあることで、そちらは特にチグハグに感じないのですが、なぜか本作では気になってしまいました。
その理由を考えてみたところ、思い当たることがひとつ、ありました。
メイスンが十字架を恐れる描写です。
ギルマンは魔除けのために十字架を持ち歩くようになるのですが、これが効果ありなのです。
およそクトゥルフ神話に登場する神々は、人類など塵ほどにも気にかけない高次の宇宙的存在であり、キリスト教の魔除けが通じるイメージはないのであります。
そんな神々と契約を交わして別名まで授かったメイスンに、今さら十字架が効くというのが、どうにも違和感を生じさせてならないのです。
十字架ではなく、「ネクロノミコン」に記されていた呪文か何かで、ギルマンが逆襲に転じる展開だったら、また別の感想になっていたかもしれません。
