書影:オリジナル
書影:アニメ映画ヴァージョン
『この本を盗む者は』を読みました。
アニメ映画を鑑賞した後に購入しました。
オリジナル書影(カバー)の上からアニメ映画ヴァージョンのカバーをかぶせるという、二重カバー状態で売られていました。一冊で二度楽しめる仕様。
アニメ映画 → 原作小説 の順番で鑑賞した都合上、純粋なブックレビューではなく、映画との比較を前提とした感想を述べます。
400ページ超の小説を85分のアニメに仕立て直したのだから、省略や改変はあって当たり前だと思っていました。
でも――
まさか――
ラスボス違ってるじゃんよ!
「!」は純粋な驚愕の表現であって、怒りの感情はふくまれておりませぬ。
改変した理由は何となく想像がつきます。
原作は、冒険ファンタジーでありながら、ミステリ要素が濃く滲み出ています。
あくまでも「本泥棒をつかまえる話」なのですわ。
クライマックスで、散りばめられた伏線が収斂し、ブックカースを防犯システムとして導入するきっかけとなった最初の盗難事件の真相へと帰着するのです。
ただし、これだと――画面映えしない。
おそらくはそのあたりを考慮して、映画は山場の性質を「謎解き」から「対決」へと変更したのだと思われます。
ブックカースの細かいルールも、映画では簡略化されていましたね。
読者が自分のペースで読める小説と、視聴者が映画のペースでストーリーを追うしかない映画、両者の媒体としての特徴を考えれば、この変更もうなずけます。
ただ、いくら視聴者を振り落とさないためとはいえ、ひるね叔母さんと煉獄に関しては、説明不足の感が否めませんでした。
このたび原作を読んだことで、映画でわからなかった点を補完でき、よかったです。
特に煉獄はなあ。前振りもなく急に設定が生えてきたとしか思えなかったものなあ。煉獄に関する説明を端折るとは、よもやよもやだ(←言いたいだけ)。
私は映画を要約して「呪いを解く物語」と述べました。
小説はどう要約しましょう。「愛を再発見する物語」とでも呼びましょうか。
本作をファンタジーたらしめているのは、〝物語の世界を現実化する力〟の存在です。
その力を呪いとして行使したとき、それはブックカースとなり、泥棒を物語世界に閉じ込める「檻」となりました。
ですが、その力を別の動機で行使したとき、それは愛しいものを檻から解放する力となったのです。
主人公・深冬は、本が大嫌いでした。本の街・読長町が嫌いでした。
ですが、物語にこめられた人々の思いに触れ、気付くのです。
失くしたものはかえってこない。だからそうなる前に、その価値を知るよう努めてもいいのではないか、と。
深冬が愛しいものと再びめぐり会うラストに頬がゆるみました。
面白かったです。


