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物語の面白さを考えるブログ

マンガ・映画・フィギュア・思索など

(1)

「この映画は説明セリフばかりでダメだ」

という評価をネットで見かけたのをきっかけに、いわゆる〝説明セリフ〟の適切な用法について考えてみました。

 

(2)

私の創作論は、小説執筆の際の金科玉条――〝説明するな、描写せよ〟――がベースにあります。

そのため、「説明文」は避けて「描写文」を使用するよう心掛けているのですが、とはいえ、実際のところ、「説明文」が有用であることも実感しています。

そのことを踏まえると、すべての「説明文」が悪なのではなく、描写が必要なところで「説明文」を用いてしまうのが悪手であるとの結論に到ります。

一方を偏重するのではなく、適切な使い分けが肝心と言えましょう。

 

(3)

説明セリフとは、「説明文」を作中人物に話させること、および、その話した内容、と定義したいと思いますが、まずは「説明文」と「描写文」の違いについて整理しておきます。

「説明文」とは、その解釈が書き手によって一義的に定まるものを指します。

 

実例:彼女は悲しかった。

 

このように書けば、彼女の感情について「悲しい」以外の解釈は成立しません。作者が「悲しい」と言っている以上、読者はそのまま受け取るしかないのです。

「描写文」とは、その解釈が読み手にゆだねられるものを指します。

 

実例:彼女はハンカチで目頭をそっと押さえた。

 

このように書けば、複数の解釈が考えられ、どのように解釈するかは読者次第となります。彼女は悲しかったのかもしれないし、単に目にゴミが入っただけで感情は揺れていないのかもしれません。

上述したことを踏まえると、説明セリフとは、「その内容の解釈が一義的に定まるセリフ」と言えそうです。

 

(4)

説明セリフが役に立つ用法を、思いつくままに列挙してみました。

 

まずは、スポーツものや格闘技ものなどにおける、試合シーンでの実況・解説のセリフ。

これは試合状況を的確に読者に伝えるのに役立ちます。

『キャプテン翼』『キン肉マン』を、実況アナのセリフが説明セリフだらけだという理由で批判する人はいないでしょう。

 

お次は、ゲームやギャンブルを題材とした作品での、ルール説明。

ルールの解釈が人によって違ってはゲームが成立しませんから、ここでは説明セリフが役立ちます。

このことを逆手にとって、特殊なルールを用いたギャンブルものなどでは、説明されていない部分をどう解釈するかが、勝負の分かれ目になったりします。

 

ミステリの謎解きのくだりは、説明セリフが輝く場面です。

真犯人を一義的に絞りこむ過程こそが推理の醍醐味ですから、複数の解釈が可能となる「描写文」はふさわしくありません。

――と書いて、「描写文」で謎解きをしたミステリ作品があったのを思い出しました。

東野圭吾『どちらかが彼女を殺した』です。

殺人がおこる。容疑者は二人。男か女か、どちらかが殺した。

この作品は、ある証拠が指し示す意味がわかったところで終わります。犯人は明言されません。ここまで積み重ねた「描写」から、あとは読者が推理してください、というわけです。

読後、しばらく考えました。やっぱり説明してほしいですね、謎解きは!

 

(5)

では、逆に、説明セリフを用いることが適切でないのは、どういう場合でしょうか。

まっさきに思い浮かぶのが、人物像を表現する場合です。

作者の意図として、登場人物Aを悪人として読者に印象づけたいとします。

このとき、登場人物Bに「Aは悪い奴だ!」と言わせるのは、適切な表現手法でしょうか。

このシーンでわかるのは、BがAに好意的な感情を持っていないことだけで、Aが実際にどのような人物であるかは不明です。よって適切とは言えません。

私が映画『果てしなきスカーレット』を批判する理由は、まさにこの点にあります。

主人公のスカーレットは、父の仇である叔父を「悪逆非道の王め!」と罵倒するのですが、親を殺された立場ならそう思うだろうな、くらいの感想にしかなりません。叔父・クローディアスが実際に悪人であるかは別の話です。

脚本を執筆した人はそのあたりをわきまえているのか否か――ここに的をしぼってまじめに評論したい気持ちはあるのですが、記事にするかは考慮中です。

Aを悪人として表現したいのであれば、A自身の言動を描写することで読者に印象づけるのが正攻法と言えます。

 

人物の容姿の表現にも、説明セリフは不適切と考えます。

美女を表現するのに、誰かに「こんなきれいな人、初めて見た」的なことを言わせるのは、いかにも陳腐ですし、誰かさんの感想と、表現される人物とが実際そうであるかは、別問題。――これは人物像のときと同じ。

容姿を具体的に形容する手法は、グレーと考えます。

例えば、「柳眉の下に切れ長の目、鼻梁はすっきりとして高く、艶やかな朱唇が意味深な微笑を浮かべていた」みたいな感じです。

これは顔のパーツを説明することで容貌を描写しようとする試みですが、少々、安易な気もします。

容姿の描写において強く印象に残っている小説が、宮城谷昌光『花の歳月』です。

主人公の少女がその美貌ゆえに後宮に差し出され……という内容ですが、その容貌がどう描写されているかというと――。

具体的な形容は皆無で、木陰でうたた寝をしている主人公の顔に、木漏れ日が当たっている様子が描かれているのみ。

これだけで、少女の顔がキラキラとした輝きを放っているように見え、美人であることが印象づけられます。

解釈を読者にゆだねる「描写文」は、読者の想像力を喚起するがゆえに、強い印象を残すことが可能となります。自ら想像したイメージから逃れることは誰にもできません。

 

「情景」の表現にも説明セリフはふさわしくないと考えます。理由は「人物」の場合と同じです。

絶景を目の当たりにしたとき、説明セリフじみた「わー! きれい!」程度の感嘆は、リアル世界でも口にするかもしれません。

ですので、きれいな景色を見たキャラクターに「きれい」と言わせるのが、絶対的にいけないわけではありませんが、創作物の表現として考えるなら、読者への訴求力を高めるような工夫がほしいところ。

 

(6)

「説明セリフばかりだからダメ」という評価は妥当と言えるでしょうか。

セリフの総量に対する説明セリフの分量のことを言っているなら、必ずしも妥当とは言えないでしょう。――説明セリフが多すぎて辟易する気持ちになるのは理解できますが。

真に問題とすべきは、量よりも質です。

本当にダメなのは、描写すべき部分を説明セリフで表現し、あまつさえ作者が描写した気になっている場合です。

この場合、説明セリフを述べる登場人物は、「血の通ったキャラクター」から「作者の代弁者的あやつり人形」になりさがり、その上、作者の伝えたいこと(セリフの内容)が、読者の胸に意図したとおりの印象を刻まないという現象がおこります。

要するに、感動しない。

このような事態を避けるために、説明セリフの用法・用量には十分に気をつける必要があるのです。

 

(終わり:文中敬称略)

 

 

記事内容と無関係なAIイラスト】

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「落ち葉ウマー」