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物語の面白さを考えるブログ

マンガ・映画・フィギュア・思索など

記事タイトルの「覇道の皇帝」は誤記です(故意)。

正しくは「波動の高低」です。

ピンときた方――ご明察。

スピ記事です。

今回は、辛口スピ批判なので、スピに興味のない方、および、がっつりスピをやっている方は、ご退席いただいた方が無難かと思われます(読者いなくなるじゃん)。

ふわふわスピが一番ダメージ少ないかも。

私はふわふわスピを揶揄する気持ちはありませんが、ふわふわスピを揶揄する人を揶揄したい気持ちはあります。ひねくれ者なので。

 

 

【画像生成AIで描いた「覇道の皇帝」のイラスト】

イケメンだなあ

 

 

で、波動の話ね。

「波動の高低」を気にしすぎるとよくないって話だ。

気にしてもかまわんけど、せいぜい趣味レベルにしておきなさい、ってこと。

 

「汚部屋に住んでいるのと、きれいな部屋に住んでいるのと、どっちが快適ですか?

きれいな方がいいですよね?」

 

波動の高い低いなんて、その程度の話だ。

一秒たりとも気を抜かずに精進して、塵ひとつない清潔部屋をつねに実現していなければならない――なんて、息が詰まるし、無理でしょ、そもそも。

生活していれば、部屋が汚れるなんて当たり前。

汚れたら掃除すればいい。それだけだ。

 

汚部屋からの脱出を指南している人や方法論も種々あるよね。

なぜいつも汚部屋になってしまうのか?

掃除の具体的な方法を知らないだけかもしれない。

片づけられない何らかの心理的原因があるのかもしれない。

そういったことを解決するための教えを活用するのは有意義なことだとは思う。

でも、それらは、あくまでツールであって、教祖やドグマじゃないんだ。

後者に依存すれば、せっかく汚部屋を脱出できても、「清潔部屋という沼」に嵌まってしまう。

よく考えよう。

 

ちょいとばかし個人的な話をさせていただきましょうか。

私が神さまに会ったのは、自己否定の極致に達したときだった。

当時の私は、自分が嫌いで、本気でこの世から自己存在を消そうと思っていた。

死んでも輪廻――それが本当にあるなら――の中でグルグルまわるだけなら意味ないので、輪廻の中からも魂が完全に消滅することを願っていた。

で、神さまにケンカを売った。

自己を否定することは、製造元である親を否定することだ。親を否定することは先祖を、先祖を否定することは地球上の生命の歴史を、……と無限に遡及して、行き着いたのが、宇宙の製造責任者、造物主である〝神〟だ。

妄念ここに極まれりって感じだ(笑)。やべえっしょ、これ。

とにかく当時は本気でそう思っていて、内に抱えた怒りと憎悪をぶつけるべく、神が実在するなら出てきやがれ! とケンカを売ったわけだ。

そうしたら……ニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』みたいなことが起きた。

びっくりしたよ、あのときは。

 

私が言いたいのは、奇蹟体験の自慢ではない。

あくまで波動の話だ。

波動の高低が大事だと説く人は、言う。

高い波動がいいものを引き寄せ、低い波動が悪いものを引き寄せる、と。

もし、それが本当なら、私は神さまに会えていないはずだよね。

だって、本気で神にケンカを売るほどの憎悪と自己否定なんて、「低い波動」そのものでしょ。

そんなときに出会うとしたら――引き寄せるとしたら――悪魔でなければ筋が通らない。

でも、悪魔は来なかった。

神が顕現した。

考えてみなよ。

波動とやらが最低最悪になったくらいで、神が見捨てるとでも?

そう思っているなら、そりゃあアナタ、人の了見の狭さってものでさぁ。

儂、全身全霊の怒りと憎悪を、神さまにぶつけてみたよ。

ビクともしなかった。

人間は、他者から怒りを向けられると、ムッとしたり怯えたり動揺したりするけど、神さまには微塵もそういったことはなかった。

悪いものは何も返ってこなかった。

だから、安心していい。

安心して、低い波動とやらを放っているといい。

神さまは、そんなあなたのそばに、いつだっているから。

 

「高い波動がいいものを引き寄せ、低い波動が悪いものを引き寄せる」。

この教えには、聞く者の心に、潜在的な恐怖を植えつける効果がある。

「高い波動を維持せよ、さもなくば、悪いものを引き寄せるぞ」。

このような脅しに、一瞬で転化する可能性があるからだ。

この脅しのもたらす恐怖に囚われると、悪いことが起きるたびに、「自分の心の何がこれを引き寄せたのだろう」と、自分の内面で原因探しが始まってしまう。

やめとけ、やめとけ、わかるわけないから。

気にしすぎると、エネルギーを無駄遣いしすぎて、「気に病む」になってしまうぞ。

とはいえ、引き寄せそのものを全否定するつもりもない。

「類は友を呼ぶ」に該当する事象も、あるような気はしている。

でも、それだって、本当のところはわからないんだけどね。

この世は因果の糸が複雑に絡み合ってできている織物だから、そのときそこに発現した事象の真因がどこにあるかなんて、生身の人間の知覚力にわかるわけがないよね。

もう、「起こることが起こる」と割り切るしかない。

起こることの原因を自分の波動に還元させるなんて考え方、傲慢なんでないかい。

日常生活レベルで、原因がわかるなら、そこにアプローチして解決を目指せばいいし、わからないなら、とりあえず対症療法でいいし、考えすぎて心が病まないように気を付けるのが、健全かつ合理的な態度なのでは、と思います。

 

「アセンション」をめぐるストーリーも面倒くさいよね。

「わたしはアセンションに間に合った。ふだんから高い波動を心がけていてよかった。アセンションできない人たち、おかわいそうに」

なーんて、安心していない?

他人を見下して随分とエゴエゴしてやがるなあ。

それって〝高い波動〟なのかね。

「アセンションできなかった方」を神さまが見捨てるとでも?

スピリチュアル・エゴは、もっともらしいストーリーを作って、〝ここではないどこか〟へ連れて行こうとするの、好きだからなあ。

今いるのが汚部屋だとして、すでにそこに神はいるからなあ。

そこ以外のどこに行く必要があるんだろう。

 

そもそもの話、「高い波動」とやらが何なのか、儂にはわからんのよ。

波動って、エネルギーの波動のことでしょ?

スピの人はよく言うよね。

宇宙はすべてエネルギーの波動でできているって。

でも、〈ワンネス〉に接したときの感覚だと、すべてはエネルギーっていうより〝幻〟かなあ。

エネルギーも、エネルギーが作りだす波動も、全部幻っていう感覚の方が、しっくりくるんだよなあ。

あくまで個人の感じ方ですけどね。

 

波動の高低を気にして一喜一憂するより、神との〝同行二人〟がすでに常に成立していることに気づく方が、はるかに手っ取り早くて安心かな、と思います。

 

(終わり)