『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(中)』を読みました。
著者は富野由悠季監督。
カバー・本文イラストは美樹本晴彦氏。
全三巻のうち最も地味だと言われている中巻。
噂にたがわず戦闘シーンは少なめでした。基本的に移動しているだけですからね。
映画三部作のうち「キルケーの魔女」が、原作からの変更点がいちばん多いと製作者がいっているのは、原作の地味さに一因があるのでしょう。
どう変えて、どう魅せるのか、いまから楽しみです。
ハサウェイの女性関係が思っていたより複雑だった件。
悲劇に終わったクェス・パラヤとの初恋がトラウマになっているだけかと思っていましたが……。
その傷心から立ち直らせるために尽力したケリア・デースという女性がいることが判明。
ハサウェイがマフティに身を投じたことにより、幸せな家庭を築くという選択は消滅。いまはケリアもマフティの一員となり、つかず離れずの関係。
そこにギギ・アンダルシアが横入りしてきて……うわ、面倒くせぇぞ、これ。
この繊細なバランスの上にかろうじて成り立っている人間関係を、映画が映像でどう描写するか見ものですな。小説は文章で説明してくれていますが。
上巻にくらべて、富野監督の洞察が表面に露出する頻度がふえた印象。
例を挙げると――
長く生きたいとするのは、人の業なのだ。(中略)
ひとりの人で、人類と世界にとって、死なせてはならない人物などはいない。
人が動物でありながら、生と死の輪廻の埒外にあると欲望する心が、このことを忘れさせているということは、ギギは、伯爵から学んだ。
(pp.180-181)
聖人であっても、ふつうの人々がつくった組織に参画するかぎり、組織内で自然発生する個々人の生み出す齟齬などは、とうてい変革できないと思えるのだ。
組織がうみだす悪癖の解決策は、すべての人が清廉潔白になるしかない、というのがブライトの結論であった。
(p.186)
ギギやブライトの見解という体裁をとっていますが、富野監督の洞察と思索だととらえて差し支えないでしょう。
こうした世界の解釈のし方――達観というよりは絶望と怒りに裏打ちされている気がする――に触れるのが、富野小説を読む楽しみなのです。
