お釈迦さまが悟った「縁起の法」――。
それを龍樹は「相依性」と呼んだ。
ということを、講談社学術文庫の『龍樹』を読んで知りました。
「相依性」というのは、相互依存性のことです。
この世の事物はすべて相互の関連の中でのみ存在しており、単独で存在するものはありません。
「相依性」は、龍樹の言葉だ。
龍樹は、「縁起の法」を、自分の言葉でそのように言い直したのだ。
ならば――
私も、自分の言葉で、縁起の法を語れるようになりたい。
『龍樹』を読んで以来、そう思っていました。
お釈迦さまが説いた縁起の法とは、つまり、どういうことだ――?
ずっと考えていました。
そして、ある日、ひとつの言葉が、肚の底から、ふっと浮かんできたのです。
〝何ひとつ切り離せるものはない〟
と。
人は、望まぬ結果を得たとき、過去に遡って原因を探し、咎めます。
「自分は、あのとき、なぜこっちを選んでしまったのだろう。あっちを選べばよかったのに」
「あいつは、あのとき、なぜあんなことをしたんだ。そんなことをするべきではなかった」
などと。
この思考の前提にあるのは、「全体」から「個」を切り離せるという考え方です。
しかし、それは無理なのです。
なぜなら、その瞬間、その「個」が存在しているのは、無数に絡み合った因と縁がもたらした結果であるからです。
その「個」の在り様を改竄などできるわけがありません。
もし、できるとすれば、「全体」そのものを書き換えるしかありません。
そんなこと、不可能でしょう?
「全体」は「個」の集合体ではないのです。
ただ「全体」があるだけなのです。
「個」と言っているのは、観測者が観念で作りあげた特定の観測単位のことなのです。
観測者が、「全体」の中の特定の範囲を区切って、「個」と呼んでいるだけなのです。
そう呼んでいるうちに、実体としての「個」があると錯覚してしまったのです。
「個」はないのです。――諸法無我。
「個」があると思い込むから、「個」の在り様を変えることで、望みの結果を得られると錯覚するのです。しかし、「個」は存在しないので、その望みはことごとく叶わず、苦しむことになるのです。―― 一切皆苦。
「個」はなく、変化する「全体」があるだけなのです。――諸行無常。
〝何ひとつ切り離せるものはない〟という自分の言葉を見つけたら、いろいろと腑に落ちました。
これで悟ったわけではないと思いますが。
