【ダンマパダ】
353:
私は一切に打ち勝ち一切を知ったのである
一切のことがらについて取著しない
一切を捨て去った 渇愛を滅ぼし尽くした境地に解脱した
自ら知り証した後に私は誰を目指す必要があるか。
以下、私見。
「一切を知った」という宣言に、とてつもない力強さを感じます。
裏を返せば、迷いとは、未知の領域があること、と言えるのではないでしょうか。
知らない事柄があるので、あっちの説が正しいかも、いやこっちの説が真実味がある気がする、などと思い、右往左往するのでしょう。
さらに注目したいのは、最後の一文です。
一切を知り尽くした後では、自分の外側に存在する誰かに向かう必要はない、と。
つまりは自分のままでいられる、と。
ここでいう自分のことを、私は「生(き)の自己」と表現したい。
「真の自己」と言ってもいいのですが、「アートマン」と混同される可能性があるので、「生の自己」という表現を考案しました。
迷いの晴れた、自分らしい自分のことです。
花は、迷いなく咲き、それはどうしようもなく花そのものである。
鳥は、迷いなく飛び、それはどうしようもなく鳥そのものである。
雲は、迷いなく変幻し、それはどうしようもなく雲そのものである。
自己は、迷いなく在り、それはどうしようもなく自己そのものである。
そのように在りたいと願い、それを実現するためには、さて、誰に教えを乞うべきか――?
などと、再びの迷い道。
無数にあると思える迷い道は、やがて「自己を知ること」に収束すると思われますが、どれだけの時間がかかりますやら。
