ダンマパダを読む 第39回 | 物語の面白さを考えるブログ

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【ダンマパダ】

 

353:

私は一切に打ち勝ち一切を知ったのである

一切のことがらについて取著しない

一切を捨て去った 渇愛を滅ぼし尽くした境地に解脱した

自ら知り証した後に私は誰を目指す必要があるか。

 

 

以下、私見。

「一切を知った」という宣言に、とてつもない力強さを感じます。

裏を返せば、迷いとは、未知の領域があること、と言えるのではないでしょうか。

知らない事柄があるので、あっちの説が正しいかも、いやこっちの説が真実味がある気がする、などと思い、右往左往するのでしょう。

さらに注目したいのは、最後の一文です。

一切を知り尽くした後では、自分の外側に存在する誰かに向かう必要はない、と。

つまりは自分のままでいられる、と。

ここでいう自分のことを、私は「生(き)の自己」と表現したい。

「真の自己」と言ってもいいのですが、「アートマン」と混同される可能性があるので、「生の自己」という表現を考案しました。

迷いの晴れた、自分らしい自分のことです。

花は、迷いなく咲き、それはどうしようもなく花そのものである。

鳥は、迷いなく飛び、それはどうしようもなく鳥そのものである。

雲は、迷いなく変幻し、それはどうしようもなく雲そのものである。

自己は、迷いなく在り、それはどうしようもなく自己そのものである。

そのように在りたいと願い、それを実現するためには、さて、誰に教えを乞うべきか――?

などと、再びの迷い道。

無数にあると思える迷い道は、やがて「自己を知ること」に収束すると思われますが、どれだけの時間がかかりますやら。