『果てしなきスカーレット』を読みました。
著者は細田守監督。
映画『果てしなきスカーレット』をまじめに評論しようと思い、映画を再鑑賞する決心をしたところ、とっくに上映が終了していたので、ならば小説で復習しようと思い立ち、購入・読了した次第であります。
小説には映画にはなかった情報がふくまれており、評論のための考える材料が増えたので、結果的によかったです。
私は『果てしなきスカーレット』を酷評する立場をとっており、このあと問題点を指摘しまくるつもりでいますが、はじめに「問題点」を二種類に大別しておきます。
① 小説の書き方における問題点
② 小説・映画を問わず『果てしなきスカーレット』という作品が有する問題点
本記事は小説の感想が主旨となりますので、①についてのみ述べます。
②については、別に記事を立てて論じます。
以下、本題に入りますが、酷評の毒舌に触れて不快な思いをしたくない方は、先へ進まずに立ち去られることを推奨します。
また、ネタバレ全開となっておりますので、ネタバレを回避したい方も同様に願います。
【AIで作成したピンク髪の王女と黒豹のイラスト】
深い意味はありません(浅い意味はあります)
本作を読みながら、小説としてこれはダメだろ! と思う箇所が多々あったので、思いつくままに挙げていきます。
【1】陳腐すぎる説明セリフ
説明セリフのすべてが悪ではありませんが、陳腐すぎるのは読書意欲を削ぎます。
幼いスカーレットが、外遊から帰った父王アムレットを迎えるシーン。
走って抱きつき、「会いたかった」と言うのです。
走って抱きつくという行動に会いたい気持ちが表れているので、わざわざセリフで説明する必要はありません。
このように、心情をセリフで説明している箇所が多すぎます。
ピンとこない方のために、私が例文をでっち上げてみます。
「わあ、ビックリした」
と言って彼は驚いた。
どうです? ひどいでしょう? 読む気は失せましたか?
わかりやすくするために、わざとひどい作文をしましたが、本作に登場する説明セリフの数々は、これと大差ありません。冗談抜きで。
映画の脚本も細田監督が書いているので、そちらも同様のありさまになっています。
【2】まさかの伏字
アムレットは、処刑される間際、スカーレットにある言葉を残します。
しかし、群衆の騒ぐ声にまぎれて、その言葉はスカーレットの耳に届きません。
父は最期に何と言ったのか――それがずっとスカーレットの気がかりとなります。
ここでも説明セリフが用いられるのですが、予想だにしなかった書き方がされており、私は強い衝撃を受けました。
引用します。
「……○○○……」
まさかの伏字!
マルが三つ……三文字の言葉? 日本語で三文字……でいいのかな?
パッと思いつくのは「ゆるせ」だけど……正解は何だろう(すっとぼけ)。
すっとぼけはともかく――
この伏字当てクイズみたいな直接話法を目にした私は、衝撃のあまり、ページを閉じ、お湯を沸かし、コーヒーを淹れました。その黒い飲み物の香りと味とで精神を落ちつけてからでないと、再びページを開くことはできませんでした。
いや、もう少しほかに書きようがあったでしょうに。
【3】地の文で虚偽を述べる
復讐に失敗し、返り討ちにあったスカーレットは、気がつくと「死者の国」にいました。
紆余曲折があり、物語の終盤、謎の老婆が現れて、ネタばらしをしてくれます。
人間が勝手に死者の国と呼んでいるだけで、本当のところはそうではなく、ここは「生も死も混じり合う場所」なのだ、と。
生死だけでなく、「過去も未来も常に溶け合っている」のだそうです。
それはそれで別にいいのですが――
でもね……
地の文ではっきり「死者の国」って書いてありましたけど? 何ヵ所かありましたよ。
ダメでしょ、これ。
地の文で虚偽の情報を読者にあたえるのは、「アンフェア」であり、特にミステリではご法度です。
例えば、「密室殺人が発生した」と地の文で書いてあって、真相が「他殺に見せかけた自殺」だったら、作者は読者に嘘をついたことになります。
虚偽の情報を読者にあたえるのは、ミスリードではありません。読者は誤読したわけではないからです。読者は誤読に誘導されていません。嘘で騙されたのです。こういう書き方をすると、読者の信頼を失います。
本作はミステリではなくファンタジーだから構わないだろう――とはなりません。
書き手としての「モラル」の問題だからです。
【4】神の視点
神の視点――作者の視点で物語を綴ると、臨場感や、生き生きとした人物描写が損なわれ、面白さが減少する羽目になりがちです。
本作はその轍を踏んでいます。
スカーレットが、日本人青年・聖(ひじり)に初めて出会うシーン。
ふたりの出自について述べておくと、スカーレットは16世紀のデンマーク人、聖は現代の日本人です。
警戒しているスカーレットは、物陰から聖の姿を覗き見るのですが――。
聖の服装は、次のように記されています。
紺の院外医療用制服と安全靴を身に着け、黄色い医療用バッグを肩に担いでいた。
16世紀人であるスカーレットに、それが現代の看護師の服装と装備であることなど、わかるはずがないですよね。
スカーレットの視点で描写するなら、「紺色の、初めて見る、奇妙な服装だった」みたいな表現にならなければおかしいのです。
そのうえでスカーレットが用心するなり、好奇心を募らせるなりする様子を書けば――つまり初見のものへのリアクションを描写することによって――彼女の性格を浮き彫りにすることができます。
ところが、細田監督は、神(作者)の視点から、キャラクターが知らず作者のみが知っている情報を読者にあたえることによって、読者がキャラクターの視点と一体になって作中世界に移入するのを妨げているのです。
小説の書き方としては悪手です。
【5】こだま
重箱の隅をつつくような指摘で申し訳ない、とは思います。
瑕疵ではあるけれど、作品の本質と関係ないことも承知しております。
ですが、気になってしまったものはしかたありません。
細かいことが気になるのが、私と杉下右京の悪い癖です。
その、気になった箇所を引用してみます。
悲鳴が砂漠にこだまする。
こだまの原理を想起するに――反響するもののない開けた砂漠で、するかな、こだま。
砂漠で「ヤッホー」と叫んだら、遠くから「ヤッホー」と帰ってくると思います?
とある漫画で、糸電話で話をするシーンで、糸がたるんでいる作画がなされていたのですが、ネットで揶揄されていました。
高度な知識を要求される領域ならまだしも、そうでない部分で、物事の道理をわかっていないような表現があると、作品に対する信頼度が、少し落ちてしまうのです。
これはその類の残念ポイントですね。
――以上、気になった点を挙げてみました。
物語の内容については、次回の記事で触れますが、「小説の書き方」の観点にしぼって評価しても、粗ばかり目について、とても褒める気にはなれませんでした。
この出来栄えで価格が860円(税別)。
高いな、と思いました。

