刃牙らへん 第6巻 | 物語の面白さを考えるブログ

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『刃牙らへん』第6巻を読みました。

 

ジャック・ハンマー VS. 花山薫、決着!

連載ペースが遅いので、リアルタイムで読んでいるとブツ切り感がすごいのですが、単行本で一気読みすると、戦いの流れが整っていて、面白く感じます。

凶器攻撃に等しいジャックの「噛みつき」に、喧嘩師・花山がどう対応するのか?

答えは――つねる。

これは盲点でしたね。

花山のキャラクターを特徴づけているのは、超強い握力である。

指だけで五百円硬貨をねじ曲げ、素手で自動車のタイヤを引き千切る握力の持ち主、それが花山薫である。

その握力をもってすれば、人の肉を摘んだまま千切り取ることなど容易い。

つまり、手の触れたところが、そのまま急所となるのだ。

肉体の接触すなわち大ダメージという点では、ジャックの噛みつきと同等である。

異なるのは、それがあたえる痛みである。

刃物で切られるのとはちがう。

肉を切られたり、削がれたりするのではない。

引き千切られ、むしり取られるのである。

肉の繊維が限界まで伸ばされたのち、耐えられなくなり、ブチッと破けるのである。

これは痛い。痛すぎる。激痛という表現では追いつかない痛みであろう。

頬をつねられ、そのまま肉をむしり取られ、ジャックは恥も外聞もなく悲鳴をあげる。

この悲鳴の表現がいい。

言葉にならない悲鳴だ。

三点リーダー(「……」のこと)に濁点を付けるという表現である。

漫画で「痛み」を表現するのは難しい。

板垣先生はそこに気を遣っていると、昔何かで読んだ記憶がある。

ジャックのあげた悲鳴は、痛みの新しい表現なのではあるまいか。

「刃牙」シリーズに関しては、ネガティブな意見も目にする。

端的に言えば、面白くなくなった、というものだ。

しかし。

板垣先生は、新しい表現を生み出すことを、やめていないように思える。

作者が新しい表現の追求をあきらめないかぎり、読者としては作品を追いかける価値があると信じているのであるが、どうであろうか。

 

両者の決着がついたあと、物語は愚地独歩の稽古風景へフォーカスする。

ジャックの次なる対戦相手は武神・愚地独歩なのか?

それとも、ジャック編はひとまず終了し、独歩編が始まったのか?

連載の方が、第6巻終了時より、三話しか進んでいないので、記事を書いている時点では判断できないんですよ。

もう少し、連載ペース、あがってくれないかなあ。