『将門記』を読む 第13回 | 物語の面白さを考えるブログ

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将門記

 

◇ 下野国境の戦い(3)

 

一方、将門は、危急の報がもたらされたので、その実否を確かめるため、ただ百余騎を率い、同月二十六日を期して、下野国境に馳せ向かった。

果たして、その報せは事実であり、くだんの敵の数は数千ばかりであった。

ざっと敵状を窺うに、あえて敵対すべきではないと知れた。

というのも、良兼軍は、いまだ合戦による損耗を被っていなかったからである。人も馬も肥えて脂がのっており、武装も充実していた。

将門軍は度々の敵襲によって消耗し、兵の武器も乏しく、人数も十分とはいえなかった。

敵はこのありさまを見て、垣根のごとくに盾を並べ、こちらの陣を切り裂くがごとくに攻め向かってきた。

将門は、敵の先陣が到達しないうちに、さっと歩兵を集め、敵の突出した部分に素早く攻撃を浴びせた。

この戦術により射取った人馬の数は八十余りにのぼった。

介良兼は仰天して怖気づき、みな盾を引いて逃げ帰った。

将門が乗馬に鞭打って名乗りをあげて追撃すると、敵は方途を失って下野国府に逃げ込み、立て籠もったのであった。

 

 

 

【解説】

 

「同年二十六日」について。

原文は「同年十月二十六日」と記す。良兼が進発したのは六月二十六日であり、誤りなので、改めた。

また、良兼が水守に到着したのは、翌日の二十七日の早朝である。それから良正・貞盛と会談し、下野国に出発しているから、将門が二十六日に急報を聞き、下野国境に向かったとすると、一日分のずれが生じているように思われる。

これは、良兼軍が上総から常陸へ移動しはじめたのを察知したのが二十六日で、それから偵察を出し、敵が下野国方面へ進軍しているらしいとの速報を受けて、二十七日に出撃したものと解釈しておきたい。