『鬼滅の刃』をアニメ化するにあたり、採用されているように思われる二つの方針。
ユーモアをコント化することで、頭を使わなくても楽しめるように――。
テーマ・ストーリー性を後回しにして、不快感のないキャラクターを前面に押し出す――。
これらのことを考え併せたとき、見えてきたのが「大衆向け」という戦略でした。
漫画はもともと大衆娯楽ですから、それをアニメ化する際、大衆を意識して作ることは間違ったことではありませんし、悪いことでもありません。それで売れるなら、ビジネスとして正解なのでしょう。
ですので、ここから先は、いい・悪いではなく、好き・嫌いの話になります。
「大衆向け」というワードに逢着して、即座に思い出されたのが、新海誠監督の『君の名は。』でした。
新海監督は、『君の名は。』を製作する際、作風を大転換しました。
従来の作品に横溢していた、ちょっと変態性を感じさせる作家性を封印し、大衆受けする話作りに徹したのです。
ヒロインの三葉は、当初は彼氏がいる設定でしたが、スタッフの猛反対にあい撤回したといいます。「ボーイ・ミーツ・ガール」もので主人公が出会うヒロインには処女性を備えていてほしいという(男の)願望に迎合したのです。ヒロインが嫌われる要素を徹底的に排した努力が窺えます。
・不快感を抱かせないキャラクター
・わかりやすく感動できるストーリー
・超絶美麗な作画
・エモい音楽
これらの「大衆向け」要素を完備した『君の名は。』は、社会現象になるほどのヒット作となりました。
ヒット作に求められるのは、作家性よりも大衆性なのです。
このことは、そのまま劇場版「無限列車編」に当てはめてよさそうです。
ここまで思い到れば、これまで抱いた数々の疑問はあっさりと氷解します。
――どうして柱にヘイトが向くような描写を削減・緩和したのか。
――どうして煉獄さんの死を以て物語を閉じたのか。
――どうして過剰なまでに「泣き」の演出を多用したのか。
――どうしてユーモア(吾峠呼世晴の作家性)をコント(誰でもわかる笑い)に変換したのか。
「無限列車編」で露骨に表出したこれらの要素は、他の各編においても健在です。
アニメ版「鬼滅」の本質は、原作の作家性をスポイルして大衆向けに換骨奪胎したものである、と私は言いたい。
「竈門炭治郎立志編」のころから時々遭遇した違和感――「何か思っていたのと違う」――の正体は、作家性が大衆性に上書きされた痕だったのかもしれません。
劇場版「無限列車編」が空前の大ヒットを記録したのは、「大衆向け」戦略がドンピシャリと嵌まったからだと思います。コロナ禍などがもたらした「タイミングの良さ」は副次的な要因であって、主因ではない。
新海監督が、自らの作家性を封印する決断を下したことに関して、特に批判する気持ちはありません。作家が自作の作風を決定するのは当然のことですし、その決断は尊重されるべきだと思います。
ですが、「鬼滅」の場合は状況が異なります。
「鬼滅」が ufotable のオリジナルアニメであったなら、それが中身のないアニメ――ただし大衆にはメチャクチャうける――だったとしても、そのように作ったこと自体に対しては、文句は言いません。あとは、観るか観ないか、観て面白かったかつまらなかったかの話になるだけです。
しかし、「鬼滅」は原作付きアニメです。アニメ化作品です。
原作がどのようにアニメ化されるのか――作家性が尊重されるのか、スポイルされるのか――に関しては、一人の原作ファンとして要望を抱きますし、それが叶えられなければ不平も言いたくなります。
私が漫画のアニメ化に期待することは、漫画のエッセンスを汲み取り、アニメという媒体に上手に落とし込むこと、です。
ufotable は応えてはくれませんでした。
私にはそう感じられます。
本記事 ① の冒頭に書きましたが、もともとこのブログは、鬱っぽかった精神のリハビリを兼ねて、『鬼滅の刃』(原作)の感想を書き記したものでした。
感性が鈍磨し、何を観ても読んでも面白いと思えなくなっていた状態で、唯一の例外が『鬼滅の刃』だったのです。
「鬼滅」の面白さとは、突き詰めれば、吾峠呼世晴という作家の持つ、唯一無二の作家性によって生み出されたものでしょう。
その面白さについて感想を書き続けることは、精神的な筋トレとでも呼べる行為でした。
吾峠先生の作家性こそが、私の感性を刺激し、生き返らせてくれたのです。
そんな私に、作家性のスポイルされたアニメ「鬼滅」を観て、どんな感想を書けというのか。
文句ならたくさん書けますが、そんなものを読まされても、読者は楽しくないでしょう。
肯定的なことを書こうとすると、
「作画すごい。無一郎くんかっこいい。蜜璃ちゃんかわいい」
くらいしか出てきません。
小学生の感想文だって、もっとマシなことを書くでしょう。
こんな芸のない文章を読まされても、やっぱり読者は楽しくないに違いありません。
だから私は、アニメ「鬼滅」の感想を書かなくなったのです。
(おわり)


