アニメの〝間〟の話 ① | 物語の面白さを考えるブログ

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アニメを観ていて思ったこと――。

美麗な作画でよく動くことが、鑑賞者を感動させることに、自動的につながるわけではないのだな、ということ。

感動を生むには、声優の演技や劇伴など、映像以外の要素も関わってきますが、映像に関していえば、〝間〟が重要だと考えるようになりました。

 

 

『魔法使いの嫁』Season1のエピソード(12話だったかなー?)。

チセがドラゴンの国に行っているあいだ、家で待つエリアスは、しきりに「寒い」と口にします。

夏であるにもかかわらず、暖炉に火を入れますが、寒さはおさまりません。

エリアスが感じている「寒さ」は、「寂しさ」なのですが、自身の感情を理解できない彼には、「寒いという感覚」として認識されていたのでした。

チセが帰ってくると、エリアスの感じていた「寒さ」も消えました。

このことを、劇中では、台詞で表現していません。――「寒くなくなったよ」なんて説明台詞、陳腐の極みですからね!

この回のラストカットは、「火の消えた暖炉」の静止画でした。

台詞もBGMもなし。

ただ、暖炉の絵を映しているだけ。

このカット、映っている時間が、少し長めだったんですね。

正確な秒数はわかりませんが、3~4秒はあったのではないでしょうか。

このカットのあとで、何か動きがあるかと思い、じっと見つめていましたが、何もなく終わりました。

私は思わず、(長いな!)と心の中でツッコミを入れました。

視聴者の体感で「長い」と感じるほどの時間、静止画を映し続けたのには、当然、製作者の意図があります。

それは、「暖炉の火が消えていることの意味」を視聴者に理解してもらうことでした。

映像の持つ意味を、視聴者が理解し、それが心に浸透して感情を揺り動かすには、ある程度の時間が必要となります。

暖炉の静止画を長めに映したのは、その時間を計算してのことでしょう。

もし、暖炉の絵を一瞬映しただけで終わってしまっていたら、エリアスの心情につくづくと思いを馳せることはなかったに違いありません。

この回を観て、映像上に設けられた〝間〟と、鑑賞者の催す感動とには、密接な関連があると認識したのであります。

 

何かの資料でアニメの絵コンテを目にすることがあります。

枠外には、絵の動きや台詞などが文字で書きこまれていたりします。

そこに秒数が書いてあることがあるのですね。

ということは、絵コンテマンは、そのシーンに必要な秒数を計算して、コンテを切っていることになります。

絵コンテは、演出に直接的に関わってきます。

それを踏まえると、絵コンテマンに求められる資質とは演出力なのではないか、と推量するに到りました。

優れた絵コンテマンは、そのシーンの意味を正確に汲み取って、秒数――〝間〟を意識してシーンを設計しているのでしょう。

単に、構図や動きを指定すればいいというものではない。

もし、絵コンテの段階で演出上の不備があったなら、美麗な作画や声優の迫真の演技があっても、鑑賞者を感動させるに到らないのではないか――。

そのような危惧さえおぼえるほどに〝間〟は重要なのだと思い到ったのであります。