絶海にあらず〈上・下〉(中公文庫) | 物語の面白さを考えるブログ

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北方謙三の『絶海にあらず』を読みました。

平将門と同時期に叛乱をおこした藤原純友を主人公とした歴史小説。

将門研究をする以上、純友も視野に入れておかないといけませんので。

 

小説としての評価をまずすると、面白かったです。

藤原北家の傍流として生まれた純友が、伊予の掾として赴任し、地元の水師たちと交流するうちに、家柄だの出世だのといったわずらわしい縛りから解放され、海の男として自由な生き方に目覚めていく――。

その過程に爽快さを感じました。

小説の書き方について言えば、場面ごとに設定した視点人物の視点で描写する、という手法が徹底されており、それによって、簡潔な文章でありながら臨場感を生むことに成功しています。

修飾語を削ぎ落とした文章。

修飾語を増やせば、より多くを読者に伝えられるかというと、そうとは限らないのが文章の面白いところ。

北方謙三氏の文章に触れると、修飾の多用は、むしろ作家の不安の裏返しではないかと思えるほど。

これで伝わるかな、どうかな、と不安になるからこそ、どんどん言葉を足してしまう。より多くの言葉を費やすことが、内容を深めることだと勘違いしてしまう。

少ない言葉でも、的確であるならば、きちんと伝わることを学ばせていただきました。

 

国司として伊予に赴任した藤原純友は、いかなる理由で海賊となり、叛乱をおこすに到ったのか?

史料に純友の名が見えるのは、承平六(936)年から天慶四(941)年の、わずか五年間である。

その出自も不詳で、伊予の豪族という説もあるが、近年の研究では藤原北家の傍流という説が有力である。北方氏は後者を採用している。

不詳な部分が多いということは、作家が想像力を働かせる余地が多いということでもある。

ただし、史実と著しく反することは書けない。多少の違反は、フィクションというエクスキューズによって吸収することが可能であるが。

藤原純友を題材にする際には、彼が海賊化した理由と経緯とをどのように設定するか。それが作家の腕の振るいどころとなろう。

北方氏は、「海」という交易路に着目した。

左大臣、さらには太政大臣を務めた時の権力者・藤原忠平は、瀬戸内海の通航量を制限し、京へ流通する物資の量を抑えることで、物価を上昇させ、それを利用して利益を己のものとした。これは私腹を肥やすのが目的ではなく、藤原氏の権力を維持するための財源を確保するのが狙いであった。さらには、物価統制を敷くことによって、将来的に物の値段を全国均一にしようとする政策の布石でもあった。ただし、物価の上昇により、民は泣く。

藤原純友は、赴任した伊予国で、海で働く者たちの現実を知る。通航量の制限により、自由に船を動かすことができなくなり、仕事を失った水師は、生きる糧を得るため、海賊行為に走るしかなかった。海は誰のものでもないと考えた純友は、伊予の掾としての権限を用い、通航量を増やし、海賊を水師にもどすことで、彼らの信頼を得、伊予の地に影響力を築いていく。やがては、九州の水師や畿内の商人とも秘密裡に連携し、京に多くの物資を流通させ、物価を下げるまでになる。

純友の乱の本質は、海を藤原氏のものと考える忠平と、海は誰の領地でもないと考える純友との経済戦争であった、というのが、北方氏の見解である。

水面下で事を進めるのが限界に達したとき、武力衝突として叛乱は表面化した。クライマックスは大宰府襲撃である。大宰府こそが、西海交易における藤原氏の拠点であったからだ。

平安時代の経済事情がこのとおりであったか、私に判断する力はないが、筋は通っていると思う。

小説の中で、将門の乱は、情報として純友の耳に届くにとどまる。

将門の乱は、突き詰めれば、同族間における土地の奪い合いであり、あくまでも私闘であって叛乱ではないと、純友は見る。それは同時に、北方氏の見解でもあるだろう。

個人的には、割り切りがすぎた過小評価ではないか、と思う。

私闘の勢いが余り、国衙を襲撃したことによって叛乱となった、というアウトラインはそのとおりなのであるが、単なる土地争奪という評価を下してしまうと、後世、将門伝説がほぼ日本全国に残されることになった理由がわからなくなる。

ひいては、将門が死後、巨大な伝説と化したのに比して、純友の知名度が劣る理由も。

小説は、ふたりの叛乱者に対する後世の評価には踏み込んでいない。

ふたつの叛乱の本質的な差異に、「海」と「土地」という、舞台のちがいが関係しているとするのは、有意義な着眼点であると思う。