そもそも、なぜ鬱になるくらい仕事が忙しくなったのでしょうか。
欠員が出たことは前に述べましたが、そのせいで増えた分の仕事をみんなで分担すれば、一人当たりの負担は劇的に増大しなかったはずです。
ところが、現実は、そうはなりませんでした。
大部分の人が負担増を嫌がり、仕事を押しつけ合った結果、立場の弱かった私に集中したのでした。
このように書くと、私だけが被害者のような印象が生じますが、心理面を深掘りすると、そうとばかりも言えなくなります。
仕事を引き受けたとき、私はこんなふうに考えました。
(仕事なのだから、結局は誰かがやらなければならない)
(やらないと、最終的にお客様に迷惑がかかってしまう)
(お客様には、こちらの内部事情など関係ない。迷惑をかけることは絶対に避けなければならない)
間違った考え方ではないと思います。
ただ、この考え方の裏側に、「自分がいい人だと思われたい」という気持ちがなかったか、という観点で内観すると、なかったとは言い切れません。
この気持ちが、結果的に、自分を鬱に追い詰めてしまいました。
また、欠員が生じたとき、仕事の割り振りをするのは、管理者たる上司の責任です。
もし、割り振りに不備があり、仕事に穴があいたのなら、それは上司の責任です。
私が負うべき責任ではありません。
それを先回りして私が引き受けるのは、バウンダリーの侵害に該当します。
バウンダリーの種類のひとつに「責任」があります。
他人の責任を肩代わりするのは、バウンダリーの侵害です。
すると、私は「いい人」でいたいがために、「責任」の領域において上司のバウンダリーを侵害し、処理能力以上の仕事を抱え込んで、鬱になったことになります。
実際のところ、鬱になりやすい人は、鬱になりやすい「考え方」を保持している場合が多いです。
そこに、鬱を誘発しやすい環境からのストレスが加わると、発症の危険性は高まります。
森田療法では、こういった「考え方」も点検していきます。
我流でやらずに、専門家の指導を仰いだ方がいいと私が言うのは、自分が無自覚に堅持している「考え方」をチェックするのは、独力では難しい面があるからでもあります。
一週間ぶりに仕事復帰した私を待っていたのは、次のような噂でした。
「あいつは、仕事が忙しくなったので、鬱だと嘘をついて職場放棄した」
噂を吹聴したのは、率先して私に仕事を押しつけた人物でした。
腹が立ちました。
さて、このような状況に直面したとき、どのような「考え方」をすれば、感じるストレスが少なくて済むでしょうか。
(一週間も休んだのだから、少しは私のありがたさがわかっただろう)
もし、このような期待を持って出社していたら、多大なショックを受けたことでしょう。
(他人に平気で仕事を押しつける人は、どこまでいっても自分本位なんだ)
事実を冷徹に俯瞰し、受け止められたなら、余計な期待(幻想)を持たない分、ショックは少なくて済んだでしょう。
また、仮に、自分のありがたみを周囲に知らしめる意図が私にあって、職場を離脱したとしたならば、それはハラッサーと五十歩百歩の振る舞いであると言えます。
ハラッサーの目的は周囲の人に影響をおよぼすこと(コントロールすること)であり、その意図をもっともらしい理由でカモフラージュして、彼は行動におよびます。その行動は、常に、他人と関連付けられています。
他人が変化することを期待して自分の行動を調整するなら、それはハラッサーないし〝かまってちゃん〟に準ずることになり、他人が思いどおりに変化しなかった場合、大きなストレスを自らが被る羽目になります。
このような意図(考え方)は、自他共にストレスをあたえるので、捨てた方が賢明でしょう。
現在からふり返ってみるに、この職場はかなり民度の低い場所だったように思います。
このような場所では、状況を改善したり、他者をよい方向へ感化することは、ほぼ不可能だと感じます。
また、それをしなければならない責任は、私にはありません。
私にできることは、実際のところ、自分の心のバッテリーを涸らさないように気を付けることだけだったのです。
それに失敗したから鬱になりました。
失敗の原因は、「いい人だと思われたい」という依存心から、「責任」領域におけるバウンダリーを保守できなかったことにあります。
仕事を押しつけられそうになっても、頑なに断ればよかったのです。嫌なやつと思われようとも、悪い噂を流されようとも。
「仕事だから誰かがやらなければ」というエクスキューズも、バウンダリーの決壊を招いた要因でした。
しかし、冷静に考えてみれば、欠員が出た上に私が休職しても、仕事は回っていたのですから、鬱になるほど頑張らなくともよかったのです。
自分がいなくとも、仕事も世の中も、それなりに回るものです。
それがわかれば、自分が休息をとることに、さほど躊躇や罪悪感を持たなくて済みます。
何か言う人は出てくるかもしれませんが、言いたい人には言わせておきましょう。
疲れたら、休む。
鬱を予防するにも、鬱から回復するにも、基本はこれです。
最初に「生に対する意欲」ありき。
休息を選択するのも、
バウンダリーを保守するのも、
自分の「考え方」を点検するのも、
専門家に助力を乞うのも、
すべて「行動」ですから、「意欲」なくしては始まりません。
そして、「意欲」の炎は、小さくなることはあっても、なかなか消えはしません。
人には、本来的に、生きる意欲がある ――
そのことを、是非、憶えておいていただきたいのです。
(終わり)