空飛ぶタイヤ | 物語の面白さを考えるブログ

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映画 『空飛ぶタイヤ』 をレンタルで鑑賞。

 

あらすじ。

走行中のトレーラーのタイヤが外れ、歩行者の母子を直撃。母親は死亡する。

自動車メーカーは、トレーラーを所有する運送会社の整備不良が原因と主張するが、納得できない運送会社社長・赤松は、独自の調査を開始する――。

 

原作は、池井戸潤の経済小説。

2002年に起きた三菱自動車製大型トラックの脱輪による死傷事故、および2000・2004年の二度にわたる三菱自動車工業のリコール隠し事件を基にしている。

 

印象に残ったのが、自動車会社の販売部カスタマー戦略課長・沢田のセリフ。――人が死んだのは知っていた。だがそれは情報としてだった。

人一人が死ぬとはどういうことか。残された幼い子供の手書きの作文を目にし、実感した沢田は、自社の上層部が重要不具合情報を隠蔽していることが許せなくなる。

このセリフには、人間として途轍もなく大事なことが秘められていると思う。

 

【参考】 三菱リコール隠し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔読んだときには、悪くないとは思った。

公文書改竄をめぐって人一人が亡くなっている。

真相は隠されたままだ。おそらく、ずっとそうだろう。

実に美しくない。

 

 

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