「トンデモ本」とは――
「著者の意図とは異なる視点から楽しむことができる本」という意味で、転じて疑似科学(似非科学)との評価を受けている事象を真正の科学であると主張したり、陰謀論やオカルトを本気で主張している本、さらには単にでたらめ、即ちとんでもない内容の本の意味などで使われる。
(Wikipedia より引用)
「トンデモ」の概念――
飛躍した論理で、論証もされていない仮説、考証のずさんなフィクションなどを含む。具体的には疑似科学やオカルトなどを含む。例えば、UFO、超能力、超常現象、ユダヤ陰謀論に関するもの。また、オカルトや疑似科学にかぎらず、門田泰明の『黒豹スペース・コンバット』や志茂田景樹の『戦国の長嶋巨人軍』、大藪春彦の『餓狼の弾痕』など有名作家の小説などでもトンデモ本とされるものもある。これらは荒唐無稽な設定や、小説としての破綻があげられる。
(Wikipedia より引用)
著者は大真面目だけれど、はたから見れば「とんでもない内容の本」にツッコミを入れて楽しもう、という趣旨の本です。
ゲラゲラ笑いながら読みました。大昔に。
内容に関しては、かなり記憶が薄れましたが、今でもおぼえているのは、門田泰明先生の 『黒豹スペース・コンバット』 へのツッコミです。
海だか湖だかが凪いでいる、と書いたすぐ後の文章で、水面が波立っていたりと、小説としておかしな点を指摘しまくっています。
主人公は、特命武装検事(すごい役職名だ)の黒木豹介。題名に〝スペース〟とあるとおり、物語の舞台は宇宙――月にまで広がります。
月にいる人物を救出するため、黒木豹介は、宇宙飛行士と一緒に、二人乗りの宇宙船に乗り込みます。
わかります? ツッコミどころ。
すでに二名が搭乗している定員二名の宇宙船で、要救助者を連れ帰らなければならない……
どういう救出計画だ?
腹筋をよじれさせながら、「こんな杜撰な小説を書くなんて、この門田泰明という人の本は、読む価値ないな」と私は思ったものでした。
しかし――以下の文章を目にし、冷水を浴びた気分になりました。
――この 『トンデモ本の世界』 を読んだだけで、実際に 『黒豹スペース・コンバット』 に目を通しもせず、下らない小説だと評価を下すのは、読者としての誠実さに欠ける。
このような論旨の文です。
(例によって曖昧な記憶に基づいておりますので、記述は正確ではありません)
他人の評価を鵜呑みにして、自分の目で確認すること・自分の頭で思考することを怠るな、という意味です。
他人の尻馬に乗って誰かを笑い者にするな、という意味でもあります。
誰かを笑い者にするなら、自分の責任と覚悟においてやれ。
この姿勢が、私の批評精神の土台となっております。
なぜ、このような記事を書いたかというと――。
「鬼滅」の21巻も出たことですし、そろそろ「読み返し感想」を書かなくては、と思っているのですが、ひとつ越えなければならないハードルがあるのです。
21巻の最初に収録されている第百七十九話において、実弥と玄弥の別れのシーンがあります。
死にゆく玄弥を抱きしめながら、実弥は神に縋ります。
「風の道しるべ」では、匡近の死に際して、神の存在を思い浮かべています。
この点に引っ掛かりを感じます。
感じた以上、言及せずにはおれません。
「不死川実弥は神に祈るか?」
このようなテーマで、記事を書くことになるかと思います。
そして、おそらくは、「風の道しるべ」に対して、辛辣なことを言うことでしょう。
(またか。しつこい)
読者の皆様にお願いです。
どうか、私の言葉を鵜呑みにせずに、ご自身で「風の道しるべ」を読んでから、評価していただきたい。私は厳しい評価を下しましたが、あなたは、私の気付かなかった魅力を発見するかもしれません。
そして、私は、現物を読みもせずに、私の意見と同調する人とは、握手をしない者であります。
どうか、そのことを、心に留めておいていただきたいのです。
以上のこと、よろしくお願い申し上げます。
ち・な・み・に――
『黒豹スペース・コンバット』 は読んでおりません(爆)。
代わりにというか何というか、伝奇ものが好きなので、門田先生の 『超獣閃戦』 は読みました。
途中から斜め読みになりましたけど。
評価は――察してください。