テロリズムとは何か | 物語の面白さを考えるブログ

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9.11―― 2001年のアメリカ同時多発テロ事件は、世界に衝撃を与えた。

ほどなくして、「テロとの戦い」というフレーズが、しきりに耳に入るようになった。

「テロ」および「テロリスト」が、絶対的な悪であるかのような報道に、違和感をおぼえたものだ。

敵対勢力に「テロ」「テロリスト」というレッテルを貼るだけで、こちら側の正義が疑いのないものとして保証される……? そんなバカな!

そもそも私は、テロリズムが何なのか、その本質を知らなかった。

本質を知らずして、善悪を判断できるわけがない。

まずはテロリズムについて、正しく知ることが必要だ。

そう思って、読んだのが本書。9.11から間もなくのころだから、けっこうな昔のことである。

 

ウィキペディアによると、テロリズムの定義について、普遍的な合意はないようである。

本記事では、『テロリズムとは何か』 の内容に即して説明をする。

 

テロリズムとは、戦争の一形態である。

戦争には三つの形態がある。

  1. 正規戦
  2. ゲリラ戦
  3. テロリズム

1. 正規戦は、自前の軍隊(正規軍)を擁する国家同士による戦争。戦闘員と非戦闘員は明確に区別される。

 

2. ゲリラ戦は、正規戦を行うに足る軍事力を持たない勢力が、正規軍に対して選択する戦略。正面切っての軍事衝突を避け、散発的な奇襲をメインとする。戦闘員と非戦闘員との区別は曖昧。戦闘員が非戦闘員に紛れて接近・逃走を行ったり、非戦闘員が戦闘員の兵站・隠匿・逃走を支援したりするからである。対ゲリラ戦において、正規軍による民間人の虐殺がときに起きるのは、戦闘員のみを区別して戦闘の対象とするのが至難であるからである。

 

3. テロリズムは、ゲリラ戦を行うに足る戦力を持たない勢力・個人が、正規軍に対して選択する戦略。奇襲をふくめ直接的な戦闘は避け、暴力による恐怖を大衆に植え付けることによって、政治的な目的を達成しようとする。つまるところ、ハッタリで終わらず、実行を伴う脅迫である。テロリストは、戦闘員/非戦闘員という概念で括ることはできない。

 

テロリズムが戦争の一形態であることを理解すれば、「テロリスト=絶対悪」という喧伝が間違いであることが、容易にわかるだろう。戦争の当事者のうち、一方が100%の悪で、一方が100%の善である、などということはあり得ない。戦争とは、交渉によって解決できない問題を、暴力によって解決する行為である。双方に、それぞれの正義があり、暴力を行使するという点に着目すれば、どちらも悪である。

地上からテロをなくす方法は三つある。一つ目は、テロリストに武器と資金と人員を与え、戦争の規模をゲリラ戦・正規戦へと拡大すること。二つ目は、テロリストの要求を呑むこと。三つ目は、テロリストを殲滅すること。

当然ながら、テロの標的となった国は、一つ目と二つ目は選ばない。一つ目は非現実的であるし、二つ目は、相手の正義を認めることになるからだ。残るは三つ目である。殲滅という非人道的な手段への非難を躱すには、テロリストが、そうされても誰もが納得する「悪」である必要がある。そこで、「テロリスト=絶対悪」という喧伝が必須となったのだ。

 

当時、メディアによって盛んに広められた「テロとの戦い」というフレーズが、一方の当事者の宣伝活動であることがわかった。

テロリズムについて正しい知識を求めたことで、自分の頭で考えることができ、メディアの垂れ流す情報を鵜呑みにする愚を回避することができた。

ところで――

私は、最近、ウィルスについて正確な知識を持っていないことに気付き、愕然としたのである。

テレビを点ければ、どこの局もウィルスの話題ばかりなり。

さて、何を信じればいいのやら。

 

 

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