前の百五十七話のラストで、童磨はカナヲの戦力を、ややもすると胡蝶しのぶ以上と
分析しました。
カナヲが本気を出したら、もしかして、童磨と互角の戦いをするのかも――と、
期待させておいて、いざ戦いが始まったら、まるで歯が立たないという期待を裏切る展開。
日輪刀を奪られたシーンは絶望的でゾッとしました。
刀で斬り払って防御できないから、カナヲは、ダメージが最小限となる被弾のし方をするべく、
血鬼術〝散り蓮華〟を見極めようとしたのね。
伊之助が来なかったらどうなっていたことか。
猗窩座の使う技の名前は、思い出の花火に由来していました。
では、童磨はそのあたり、どうなっているのか、考えてみました。
童磨の血鬼術の名前は、俳句に関係あるものが多いです。
・枯園垂り
「枯園」は冬の季語。冬枯れの庭園のこと。
「垂り」も冬の季語。木の枝などに降り積もった雪が滑り落ちること。また、その雪。しずり雪。
・凍て曇
「冱つ(凍つ)」は冬の季語。子季語として「凍て曇」がある。
・冬ざれ氷柱
「冬ざれ」は冬の季語。草木が枯れ果てて寂しい冬の風物の様子。
「氷柱」も冬の季語。
・霧氷・睡蓮菩薩
「霧氷」は冬の季語。氷点下の霧や雲が樹枝などに着いてできる氷のこと。
その他、「蓮」「蓮華」「菩薩」は、仏教のイメージ。
上記の名称から浮上するのは、童磨の本質と、彼に対するアイロニーです。
童磨の、何も感じない精神は、あたかも感情が凍っているかのよう。
冬のイメージは、彼の荒涼とした精神世界の表現としてぴったりです。
何も感じない童磨が、俳句に詠まれるような風情など、理解できるはずもありません。
術の名前が季語で構成されているのは、とんだ皮肉です。
仏教のイメージも同様。
死んだら無になっておしまい、天国も地獄も存在しないと考える、信心とは無縁の彼の術が、仏教のイメージを帯びている。これまた皮肉としか言いようがありません。
血鬼術の名称は、熱意のないきれいごとを吐き散らかす童磨の本性を体現しているように
見えます。
ちなみに、冬の季語に「凍蝶」(いてちょう)があります。
寒さのために凍てついたようになった蝶のことです。飛んでも鈍く、ほとんど動きません。
蝶と言ったら、お察しのごとく、しのぶさんです。
童磨の前に散った彼女は、まさに凍蝶のごとくでした。
日輪刀を奪われて大ピンチ! のカナヲを救ったのは、脈絡もなく天井をぶち破って登場した
伊之助。獣の呼吸・伍ノ牙・狂い裂きで、散り蓮華を吹っ飛ばす。
目を閉じてキャーって言ってる感じのカナヲがかわいい。
伊之助の乱入で凍てついた空気がヒートアップするか?
次回へ続く!

