◇第151話◇ 鈴鳴りの雪月夜  【鬼滅の刃・感想】 | 物語の面白さを考えるブログ

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雪化粧の夜の森を歩く、親子の後ろ姿。

二人の足跡を、まあるい月が照らしている。

 

――扉絵から音楽のように流れてくる詩情に、何度見ても、ため息が出ます。

前から言っていますが、「鬼滅」における情景描写は、非常に重要で、

作品の基調となる哀切さを下支えしています。

この情景が、読者の心に無意識的にでもインプットされているおかげで、

登場人物がギャグをやろうと、残酷な最期を遂げようとも、「鬼滅」世界は壊れずに

在り続けることができるのです。

 

なのに、なんで、小説版は情景描写をおろそかにするかなー。

キャラブックに毛の生えた程度の仕上がりにするのは何でかなー。

もっと描写に力をいれて欲しいなー。

で、今気付きましたが、小説版は、なぜ、鬼退治をしないのでしょうか。

「しあわせの花」で、善逸がちょっと鬼を斬ったくらい、かな。

あの鬼の造形もテキトー感が凄かったなー。

神は細部に宿る。モブキャラに手抜きするのはよろしくありません。

「遊戯王 ZEXAL」を見習いたまえ。モブの女の子がものすごくカワイイ。

 

 

 

右下の三人とか、本編とは無関係である。でも、一切、手抜きなし。素晴らしい。

 

ちょっと脱線しました。

炭治郎が思い出したのは、ヒノカミ神楽の神髄と、〝透き通る世界〟について語る父親の

エピソード。

炭十郎さんは次のように言っています。

 

「五感を開き自分の体の形を血管の一つ一つまで認識する」

 

雷の呼吸のコツを説明したとき、善逸も同じようなことを言っていました。

このようなことが、現実に可能なのか?

まったくの絵空事ではないと、私は思います。

 

私個人の体験談で恐縮ですが、ヴィパッサナー瞑想の合宿に参加したことがあります。

ヴィパッサナー瞑想とは、心身を観察する瞑想です。お釈迦さまはこれで悟りました。

一日十時間くらい、瞑想します。それを十日間続けます。その間、誰とも喋ってはならない

というルールがあります(緊急時を除く)。

本格的に瞑想をしたのは、このときが初めてでしたが、そんな初心者でも、かなりの

集中力と観察力が身につきました。

結跏趺坐という、両足の甲を、腿の上に乗せて脚を組む座り方が、きつい。

慣れていないと、足の骨が痛みで悲鳴を上げます。

その痛みも、観察対象です。

意識を研ぎ澄ませ、観察を続けると、痛みが一様ではないことがわかってきます。

波のように、強弱がある。痛む箇所も、移動します。

痛み以外に、肉体も観察範囲にすると、足の骨がどのような形状で、どのような位置にあり、

どこに負荷が掛かっているか、そのようなことまでわかってきます。

わかれば、対処法も見えるというもの。

足の位置をほんの少しずらし、痛みを生み出す負荷を減らしたことで、

長時間の坐禅が可能となりました。

合宿も半ばをすぎると、身体から蒸発した汗が、ドライメッシュのTシャツを通過する際、

サイコロステーキ先輩みたいな形状になることまで、知覚できるようになりました。

何でも、瞑想の上級者になると、素粒子の明滅までも知覚できるとか。

本当かウソかわかりませんが、研磨すれば人間の知覚が素粒子を感知できるほどに

精緻鋭敏になるなら、そこに到達する手前のどこかで、身体のひとつやふたつ、透き通って

見えたとしても、不思議ではありません。――いや、やっぱ、不思議かな?

 

人喰い熊の接近を知るため、鈴のついた縄を、家の周囲に張り巡らせた竈門家。

しかし、炭十郎さんは、鈴が鳴る前に、熊の気配を察知しています。

これと似たエピソードは、現実にも伝えられています。

合気道の植芝盛平翁の話だったと思いますが(記憶違いだったらすみません)、

ネズミが道場の神棚のお供えを齧っていると、別の部屋にいた植芝翁が、

それを察知して駆けつけたとか。

武道の達人になると、サイキックめいた超感覚が覚醒するのかもしれません。

 

炭十郎さんは、ヒノカミ神楽を用いて、巨大な人喰い熊を、斧一丁で仕留めます。

私のお気に入りのコマは、熊の死骸に向かって、親子で手を合わせているシーンです。

何気ないシーンですが、こういう描写があるので、炭十郎さんに〝父親〟を感じるのですね。

父親が、息子に、生命の尊厳を教える。――すごく大事なことだと思います。

〝トモダチ父子〟でも〝スパルタ父子〟でも、どちらでも構いませんが、父親が父親としての

機能を果たし、教えるべきことを子に伝えていれば、無闇なイジメなどは減るのではないかと

思うのですけど、机上の理想論すぎますかね。

ダメ親を反面教師として活用できるかは、子供側の資質に大きく依存しますので、

こちらは成功率が高いとは言えない気がします。

何にせよ、炭治郎はいい父親をもったなあと、ちょっぴり羨ましく思いました。

 

致命傷となり得た猗窩座の一撃を、一瞬だけ入門できた〝透き通る世界〟の境地で

回避した炭治郎。

それを使いこなして、猗窩座に勝利することはできるのか?

次回へ続く!

 

第17巻収録はここまで。

 

 

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