【鬼滅の刃】 原作の12話と13話の感想(アニメの第7話相当) | 物語の面白さを考えるブログ

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沼の鬼を撃破した炭治郎は、

鬼舞辻無惨の情報を聞き出そうとするものの、

沼の鬼は恐怖にふるえて「言えない」の一点張り。

手掛かりを得られないまま、次の任務地である浅草へ行くと、

いきなり鬼舞辻無惨に遭遇。

打ち切り宣告されてまとめに入ったかと訝るほどの急展開でしたが、

「鬼滅」も今や立派なアニメ化作品。よかった、よかった。

 

禰豆子と戦った沼の鬼が、その強さを感じ取り、

 

(この女は恐らく分けられた血の量が多いんだ!!)

 

と驚いていました。

ここを読み返して、あらためて、竈門家襲撃の謎を考え直しました。

以前は、「禰豆子は一度死んでいる説」を唱えましたが、

妄想がたくましくなりすぎたので、ご破算にして、やり直し。

義勇さんの発言は、傷口に偶然血を浴びたから鬼化したような

印象を与えますが、あくまでも「分け与えられて」いるのですよね。

ここを起点として、再考察です。

 

もっと単純に考えてみよう。

 

鬼舞辻無惨は、「陽光に耐性のある体質を持つ鬼」を求めて、

同類を増やすことをくり返してきました。

ルーチンワークと言ってもいいでしょう。

竈門家襲撃も、単純に、その一環だったのではないか?

 

殺害現場は、壁に血が飛び散るほどの惨状となっていました。

狛治の素流を華麗にかわして懐に飛び込めるほどの

身体能力を持つ無惨さまです。

戦闘力皆無の女子供に血を分け与えるという

簡単な作業を遂行するにあたって、

ここまで現場を汚すほど手際が悪いとは思えません。

事実、浅草の雑踏で鬼をこしらえた際は、

つけた傷口から少量の血が垂れる程度にとどめています。

血飛沫を飛散させずに完遂できる作業を、

血飛沫を飛散させて完遂させたのならば――

 

わざとじゃないのか?

 

鬼舞辻無惨は、普段、人間のふりをして暮らしています。

人目のある場所では、奇異な行動はとれません。

肩のぶつかったゴロツキに因縁をつけられても、

「すみません」と頭を下げねばならないのです。

プライドの高い無惨さまにとって、かなりのストレスでしょう。

このストレスを発散するために、時々、無意味で派手な

殺戮を行っていたと考えるのは、飛躍でしょうか。

このように考えると、山奥で孤立している炭焼き一家などは、

実に都合がいい。

犠牲者が悲鳴をあげても、駆けつける隣人などいないのですから。

 

ストレス発散と、「陽光耐性」探し、趣味と実益を兼ねて、

竈門家の人々をなぶり殺しにしたのではないか。

そんな恐ろしい考察をしてしまったのであります。

 

鬼舞辻無惨にとって、竈門家襲撃は吉であったか、凶であったか。

禰豆子が太陽を克服した結果は、間違いなく「吉」であったでしょう。

ですが、それは、同時に、眠れる虎の尾を踏む行為でもありました。

「耳飾りの剣士」が再び彼の前に現れることになったのですから。

おお、鬼舞辻無惨に呪いあれ!

その頸に振り下ろされる断罪の刃が、

彼にとって忌み恐れる「凶刃」とならんことを、

地獄の業火に願うばかりである。

 

 

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